世界中で浪曲を公演。それでも未来は背負わない「鬼っ子」の仕事──浪曲師・玉川奈々福インタビュー【後編】

書き手 小野民
写真 武藤奈緒美
世界中で浪曲を公演。それでも未来は背負わない「鬼っ子」の仕事──浪曲師・玉川奈々福インタビュー【後編】
浪曲師の玉川奈々福さんへのインタビュー後編です。前編では、習いごととして踏み入れた三味線教室から、浪曲師への弟子入り、編集者との両立を経て浪曲と真っ向から向き合うようになった日々までのことをうかがいました。

後編では、文化庁の文化交流使として赴いた海外での浪曲の反響や、浪曲のいまについて。長らく下火だった浪曲の世界にはいま、少しずつ追い風が吹き始めているようです。

さまざまな伝統芸能から「浪曲ってなんだ?」のヒント

──編集者を辞めて、浪曲だけを生業にしたことで、自由に動けるようになって活動も広がっていったと思います。浪曲以外のジャンルの方との舞台や、海外公演なども積極的に行っています。

玉川奈々福(以下、奈々福)
日本の伝統芸能ってものすごい数があるんですよね。「浪曲って何だろう」という気持ちが浪曲を続ける気持ちの根底にあるので、逆に「お能って何?」「講談って何?」「落語って何?」と、それぞれのプロに聞きたかった。

ただ話を聞くだけじゃなくて一緒に公演してみると、「あぁこんな風に違うんだ」って腑に落ちるんです。たとえば発声の仕方、空腹で演じるか、いつ食べてるか、喉をどういう風にケアしてるのか、芸としての使命……いちいちが違う。「じゃあ浪曲はなんなんだ?」に立ち戻れて、自分が浪曲師であること、浪曲に対しての確信が高まってきました。

──他の芸能との交流とともに、海外という全く文化が違う場所での公演もされています。

奈々福
初めての海外公演は韓国でした。そのときは字幕のつけ方もまだ手探りで、オチが見えちゃうような出し方だったんです(笑)。それは失敗だったんだけど、内容はすごくウケたことに安堵しました。実際に演じるまでは、韓国は儒教の国で男女のギャップも大きいと思い込んでいたんですね。

でも、ダメ夫を叩き直す強い女性の話に、転げ回って笑ってくれるんです。そのことにとても力を得ました。中国やヨーロッパ各地での公演は、字幕のオペレーションも一行ずつ出していくようにして、タイミングもだんだんうまくなっていきました。

キルギスでの公演は、イスラム教の国だし、さすがにうけないのではないかと心配したんです。でも、やっぱりちゃんとおもしろがってくれるんです。きちんと字幕をつくって、伝わるようなタイミングを考えてていねいな仕事をすれば、文化は違えど伝わるものなんだ、と思いました。

──節回しとか、声の迫力といったフィジカルな部分で魅了される部分もあるのでしょうか。

奈々福
そうかもしれないです。国によって声の出し方は全然違いますもんね。残響感がすばらしいヨーロッパのホールでしばらく公演を続けたら、私の声の出し方も少し変わったくらいです。逆に、浪曲そっくりの声の出し方をする芸に出会ったのはウズベキスタンでした。仏教の説話がもとになっている、バクシという芸でした。

 

「古き良きもの」のその先へ行くべき?行かざるべき?

──世界各地の土着の芸には、やはり興味があるんですね。

奈々福
はい。たとえば、キルギスで出会った、ある日突然なにかが憑依したように歌えるようになるという「神授型」の芸・マナスは、印象に残っています。イタコのような感じで、科学では解明できないんですけどね。小さい頃から聞いているから自然と歌えるようになるのかもしれません。

日本でも神話のなかのアメノウズメや猿楽の発祥は、神受型のものだった気がするんです。芸能には少なからず、「宿った物語が語られていくもの」という面がある。浪曲はとくに、社会の底辺に生きていたような人たちが始祖で、いまの浪曲もその末裔な気がするんです。ところが昨今は、大衆芸能であっても、興行に資本が入ってきて、どんどん芸能の神授性は薄まっていくわけです。

だけど、不思議と浪曲には芸能の原型みたいなものがフリーズドライされてる部分がある。私は、自分が演じる浪曲やプロデュースする作品で「伝えるためにはわかりやすく」ということをやってきました。それは、浪曲のよさを解凍しちゃっているんじゃないか? それはもしかして悪いことなのか? と最近悩ましく感じることもあります。だって、昔の浪曲を聴いたら、難しくてわけわからないんだけども、私も、観客も呆然として心を持っていかれちゃうんです。

もちろん、大衆芸能として生き残るためには、ちゃんと伝えるってことも大切だと思いますよ。うーん……まだまだ私は浪曲を研究し足りないのかもしれません(笑)。

──これからの目標はありますか?

奈々福
観にくる人が増えてほしいとは思いますね。この間、『阿呆浪士』という舞台でジャニーズの戸塚祥太君と共演して「ここで浪曲を知って、戸塚君のファンのひとりでも浪曲を見に来てくれたら」って言っていたら、浪曲協会まで舞台を観に来てくれた女の子がいてね。本当に嬉しかった。

伝統芸能を文化政策として保護する国もあって、海外の人から「日本は伝統芸能を保護していない」と批判されることもあります。でも、浪曲定席『木馬亭』の木戸銭が2200円、私の会では3000円、3500円の入場料をいただいて、1000人ものお客さんが集まってくださって、その日の上がりで私は食べていける。それって、芸能としてとても健全ではないか、と考えています。

本来はお客さんにお金を払ってもらって、その上がりだけで食べていける循環が保てるのが理想。浪曲の業界全体がそうなっていくための努力を私はしていて、それ以上でありたいとは思っていません。

そして、願わくば、浪曲にいろんなバリエーションがあってほしいんです。今人気の私の弟弟子の玉川太福や私は、突然変異の鬼っ子みたいな存在だと思うんです。鬼っ子たちが散々かき回して、評価される「正統派」の人たちがいることが望ましいんです。

あんな浪曲もあるし、こんな浪曲もある。「私はこっちは嫌だけど、こっちは良いよ」みたいにお客さんが言い合える状況になってほしい。だからどんどん若い人たちが出てきて、上の人を尊敬して、若いうちに体を鍛えて、とんでもない声を出せるようになってほしいです。

奈々福
昭和18年には3000人いた浪曲師がいまは80人ほど。ちなみにいま落語家さんは800人以上らしいです。人数が少ないだけでなく、浪曲だけで食べている人も少ないから、まだまだ努力が必要だと思っています。

でもあまり絶望してないんです。それは、編集者だった時代に私が「どんどん人間の知性は縮まっていくのではないか」と嘆いていたら、ドイツ文学者の池内紀さんが、にっこり笑って「どんな時代でも天才って出るんだよ」っておっしゃっていた思い出があるから。

たしかに、私が想像してなかったような素晴らしい後輩たちが育ってきてる。それにかんしては、ある意味無責任でいいのかな、と。浪曲が続いていく、せめてその状況が続くようにだけ努力をしていけばいいんじゃないかな、といまは考えています。

 

新作浪曲にも活きる、経験はすべて糧

──奈々福さん自身がこれからやってみたいことはありますか?

奈々福
刹那のことしか考えないので、あまり遠い先のことは考えないんですよ。まだつくりたいものは数々あるので、少しずつ表現の幅を増やしていきたいですね。古典だけやってる人もいますよ。でもね、新作をつくるのってすごく楽しい。「どういう表現にしよう」と言葉を吟味して、自分のフィジカル、内面的なもの、感覚……浪曲には全部乗せができるんですよ。

しかも自分だけで完結しなくて、三味線という不自由な要素があって、そこと戦いながらやってる。リスクでもあり、魅力が倍増するものでもあり、この要素がおもしろいですよね。

──奈々福さんが最初におっしゃっていたように、「もっと聴いてみたい」という感覚はすごくわかります。声量、音量のパワーに圧倒されて、力がみなぎるというか。

奈々福
芸能というのは必ず、実人生を生きている人のものであるべきです。だから、「今日は浪曲でも行って気持ちを変えたいな」、「浪曲聴いてたら元気もらえちゃったよ」というようなもので、それ以上でもないし以下でもない。その状態を社会の中で保っていけたらいいですね。

──奈々福さんは、まさに「フィットする仕事」をしているように見えます。振り返って必要だったことはどんなことだと思いますか?

奈々福
なにがフィットするかは、事前にわかるものでは全然ないですよね。「これも違う」、「あれも違う」って言ってたら永遠に違うと思うんですよね。いま考えると、私が一番最初に入った会社は合わなかった。でも、失敗や苦労って財産じゃないですか。あとでものすごく活きるものです。

「ここではない」って夢を見るばかりではなく、まずは、目の前にあることを一生懸命やる。そして、自分に嘘をつかないで、好きなものにアンテナを張っておく。そのアンテナに引っかかって来た時に、運と縁が開けるような状態にしておきたい。

私はたまたま「運」と「縁」に恵まれたから、本当にラッキーだった。そして、臆病にならないでえいやっと飛び込めるのは、ある程度の教育を受ける機会があったとか、人の愛情に恵まれていたとかのベースがあったからです。

浪曲をはじめたのも、浪曲一本で食べていけるようになったのも、怖がらないで飛び込めるベースがあったからで、とてもありがたいことだと思っています。

(おわり)

*YouTube「奈々福チャンネル」では奈々福さんの浪曲や稽古風景が公開されています。ぜひご覧ください。

前編「習いごとで踏み入れた道でプロに。「浪曲ってなんだ?」を問い続けて。