クラシコムがお手本にする「サンマリノ共和国」は何がすごい?マンリオ・カデロ大使に教わりました

書き手 長谷川 賢人
写真 平本 泰淳 *3,4,9枚目はサンマリノ大使館提供
クラシコムがお手本にする「サンマリノ共和国」は何がすごい?マンリオ・カデロ大使に教わりました
あなたには「なりたい」と思える人はいますか?

誰かを参考にして自分のことを考える。同じ様に「会社」のことを考えるとき、参考にするのは必ずしも「他の会社」だけではありません。

クラシコム代表の青木は「僕はサンマリノ共和国をモデルに会社を作っている」と話します。2012年にSNSへ投稿したメモが残っていましたが、長いあいだにわたって、その興味が続いているようです。青木は「彼らはニッチ戦略の真髄を突いている」とも言います。

……そもそも、サンマリノ共和国とは?

その国土は東京の世田谷区、もしくは十和田湖と同じくらい。人口約3万6千人が暮らす、世界で5番目に小さな国です。現在はイタリアの中にすっぽりと収まっていますが、実はサンマリノ共和国の方が歴史はずっと古く、紀元以来1700年以上続く世界最古の共和国(君主が存在しない国家)でもあります。

彼らは山の断崖に沿って築いた石造りの要塞を中心に、小さな国土を広げず、周囲と争うことなく暮らしてきました。自由と平和を愛し、今日まで独立国であり続けています。なぜ、それほど健やかに、そして長生きできているのでしょうか。その理由を紐解くことで、「会社という小さな社会」をより良く考えるヒントが見えるのかもしれません。

今回、長年の関心を胸に、代表青木はサンマリノ共和国大使館を訪れる機会を得ました。出迎えてくれたのはマンリオ・カデロ特命全権大使。日本を愛し、日本人向けの著作も持つカデロ大使は、未来のこの国を見通しながら、サンマリノ共和国について語ってくれました。

「攻めても何にもならない」から放っておかれた?

──会社を長く続けていこうとすると「規模を大きくしていかなければいけない」と思いがちです。でも、小さなサンマリノ共和国こそ、長い歴史を生き抜いてきましたよね。今日は、サンマリノ共和国のあり方から、自分たちが幸せに長く会社を続けていくためのヒントをいただればと思っています。

カデロ大使
伝説では、301年にカトリック教徒で石工の「マリノ」が、当時のローマ皇帝から迫害を受け、「ティターノ山」へ逃れました。その地で伝道を続け、彼のもとに集まっていった人々によって形成された住民社会がサンマリノの紀元と言われています。日本でいえば、卑弥呼が亡くなったあとくらいのことでしょうか(笑)。


聖マリノの肖像画

マリノは教会を中心に、その周囲に共同の労働社会をつくり、そこで行動するための規範を定めたとされています。彼らは小さな住民社会を維持するために、調和と平和を重んじました。そして、ティターノ山は厳しく不毛な土地でしたが、それによって外敵から守られたことにより、彼らは自由の精神にも目覚めていきました。

その後、10世紀ごろになって、サンマリノ人は村の周りに砦や壁を築きはじめます。これが「防備する共同社会」の意味である“Castellum”や“Castrum”と呼ばれ、「城」の語源ともいわれています。ティターノ山と自らの城が、自由の精神をより高めたのでしょう。


サンマリノ共和国風景

──どうして、それほど長く国を続けてこられたのですか。

カデロ大使
まず、軍人や軍隊を整備していない国だということです。政府自体が小さいので、国家予算も少なく済みます。ほぼ戦争をしたことのない平和の国です。現在も、多くの国と査証免除協定を結んでおり、ほとんどの国の人々がビザの取得なしに滞在できます。ビザなしで入れる国の数が限られている中国の方も90日以内で可能なんですよ。

サンマリノは面積も約64キロ平方メートルで、硬い花崗岩がよく採れる農業国です。世界遺産にも認定されている「歴史地区」という主要部を含め山の上にあり、この地形が非常に攻めにくい。それで、他の国はみんな考えたわけです。「サンマリノ人を攻めても何にもならない……」と(笑)。

──頑張って攻めても利がない!

カデロ大使
そう、攻めても何にもならない。絵などはあっても主だった宝物もなく、金も油もない。

そのおかげもあって、サンマリノ人はとてもおとなしい民族だといわれます。それでいて、とてもフレンドリー。自動車がなかった頃はロバやウマが交通手段で、サンマリノを訪れるだけでも一苦労でしたから、せっかくの来訪者には「ようこそ、おつかれさま!」とワインやお水、食べ物をタダであげていたそうですよ。

──そのオープンなスタンスも、きっと長生きする秘訣なんでしょうね。

カデロ大使
そうそう。欲張りにならないと、長生きするんですよ(笑)。

ナポレオンの申し出を断って、小さな領地であり続けた

──「欲張らない」という点では、サンマリノ共和国は歴史的に「領土を拡大してこなかった」というのも特徴かと思います。

カデロ大使
その理由は山ほどありますが、一番の理由は彼らのおとなしい気質でしょうね。そもそも、今より領土を広げたいという思いが、生来の国民感情として無いんですよ。我々はティターノ山の小さな社会で、粘り強く自由を防衛してきたという思いがある。

それに共感したのが、ナポレオン・ボナパルトです。彼はイタリアを南下する際にサンマリノを知りました。サンマリノが自由を維持し、世界に先駆けて自由への意志を抱き続けたことに、リベラルなナポレオンは感ずるところがあったのでしょう。共和国の先達として敬意を払い、その功績を認めたことから、フランスはサンマリノへ侵略しなかったのです。

そして、1797年にナポレオンから贈られた手紙が残っているのですが……彼はサンマリノへ武器や穀物を贈り、さらに航海へ出られるように領土拡大の申し入れをしてきたのです。ところが、サンマリノ市民は武器と穀物は喜んだけれど、領土は断ってしまったんです。

──まさに絶好の機会だったはずなのでは?

カデロ大使
共和国は他人に支配を強要することを望まなかったのです。「受け取る」と言った穀物も、正規に支払い済みで、略奪や徴発されたものではないことを確かめていたくらいですから。

また、良き共和国人であるサンマリノ市民は、自らの“現状”に満足しており、野望や虚栄も望みませんでした。これは「偉い」判断だったといえるでしょう。もし受け入れていれば、すでにサンマリノはなくなっていたかもしれません。

立地的に港が増え、いずれ大きな飛行場ができれば、他国の侵略は避けられない。領土を広げてもらうことで、いつの日か、さらに大きな権力で支配されるかもしれないという恐れもあったはずです。

1861年には、エイブラハム・リンカーンから友情と共感を示す手紙が届いています。「貴国は小国ながら、すべての歴史を顧みても最も尊敬すべき国のひとつ」と書かれています。サンマリノの姿がリンカーンにもインスピレーションを与え、アメリカを形作る参考になったのでしょう。

──リベラルな人々が、歴史的にもサンマリノから影響を受けてきたのですね。

カデロ大使
かつて戦争の時代には、フランスやイギリスは世界のあちこちに植民地を持ちました。しかし、植民地を作るというエクスパンドを繰り返し、自国とのポリシーがずれることで、うまくいかなくなっていった。結局、今は植民地がほとんどないですものね。

まさにサンマリノの哲学の正しさが、政治的なポリシーにも表れているのだと感じます。ヨーロッパの中で最も古い国を設立し、現在まで続けているのはサンマリノだけです。ちなみに、最も若い国はイギリスですね。たった890年ぐらいですから(笑)。

──「たった」というのがすごい!(笑)

大統領は2人ずつ6ヶ月交代、政治家はみんな副業

──平和な共和国をつくる上で、サンマリノらしい「やり方」などはあるのでしょうか。

カデロ大使
面白いシステムがありますよ。サンマリノでは大統領にあたる「執政」の任期が6ヶ月なのですが、必ず2名ずつ選出されて、誰でも申し込めば候補になれるんです。ある程度の条件はありますが。これは1243年から続いている仕組みなんですね。

──任期も短いですし、必ず2名というのはユニークです。

カデロ大使
6ヶ月なのは2つの理由があります。一つは、他の人も執政になるチャンスを与えるため。もう一つは、半年程度なら悪さをするような時間がないんですよ(笑)。

2名いれば意見が違っても、その期間だけなら国のために協力できますし、考えが極端に偏ることも防げますからね。お互いの決定に対する拒否権も持っています。執政は任期の終わりに国民からの評価を受けます。ただ、執政は名誉職で、基本的には少額の手当が支給されるだけです。

それと、もっと面白いことがあります。サンマリノには60人の政治家からなる「大評議会」というものがありますが、みんな別に自分の仕事を持っているんです。政治家専門じゃない。弁護士、大学の先生、小学校の先生、会社の社長、税理士、会計士、もろもろですよ。


執政就任式

──本当に、みんなで国を治めてるんですね。

カデロ大使
そうです。1人が治める王国のようになってしまうと、だんだんデカダンスになってしまいます。政治家も、ぜいたくしてあんまり働かなくなってしまったり。

現在もフランスやアメリカなど、たくさんの国が共和国になっていますね。ヨーロッパは王国が多いですが、昔ほど「ハード」な統治ともいえませんし。日本の天皇陛下もシンボルとしていらっしゃいますね。

大切なのは「良いバランスを取る」ということでしょう。

──執政を2人置くのは、共和制時代のローマにおける執政官制度とも似ています。

カデロ大使
ただ、ローマは領地を拡大しすぎて管理できなくなった時がありましたね。エジプトまで勢力を伸ばしたんですから。

──エクスパンドしていこうと思いすぎず、自分たちの範囲というものをしっかり認識することも大切ですね。

カデロ大使
もちろん、ある程度のエクスパンドは国のためにもいい。いいかもしれないけれど、あまり欲張りすぎてはいけないのですね。

──今は、会社というものが「小さな国」のようになっていることも多い。大きな会社ほどそれが顕著です。現代の会社が小さなサンマリノ共和国に見習えることは、やはりありそうです。

「われわれに知らしめて、他の人々に知らしめることなかれ」

──カデロ大使から「良いバランス」という言葉がありました。それを保つための仕組みや考え方などはありますか?

カデロ大使
人間にはいろんな意見があります。サンマリノ政府に文句を言う人だっています。パーフェクトな状態はありません。だから、そういうこと言われたら、よく話を聞いて、「わかりました、できればやります。できなければ勘弁してください」と言えばいいんです(笑)。

しょうがないですよ。すべての国民を喜ばせることは不可能ですし、ユートピアはないんです。国として努力はしますけれど、人間には残念ながら、欲張りの性格がありますから。

──要は「足るを知る」というようなバランス感覚が、親から子どもにずっと受け継がれてきているのでしょうか。

カデロ大使
それはありますね。おじいさんやおばあさんの影響もあって、サンマリノ人のDNAに残るんですよね。

サンマリノには「われわれに知らしめて、他の人々に知らしめることなかれ」という言葉があります。貧乏でいて、隣人からうらやましがられないこと。これが祖先から賢明なことだと考えられてきたわけです。サンマリノ人のフィロソフィーのひとつかもしれません。

10年後の日本を救う「観光」のポテンシャル

──サンマリノ共和国は周囲をイタリアに囲まれています。関係性は良いのでしょうか。

カデロ大使
サンマリノ人とは基本的に同じ民族ですし、言葉も宗教も同じで、習慣もだいたい似ています。だからみんなに平等で、イタリアの方々に歴史的に食べ物を分け与えてきたこともあります。それはイタリアも忘れずに感謝していますし、サンマリノにとってもイタリアは大事な国です。

これは経済的にも大切な結びつきです。イタリア、サンマリノ、バチカンを含めて53件の世界遺産があり、これは世界一の保有数。今、イタリアのGDPが安定しているのは、観光客が多いのが理由です。イタリアの人口は5500万人ですが、年間に7500万人が観光に訪れます。

──全国民よりも観光客が多いのですね!

カデロ大使
ベネツィアだけでも3400万人。ベネツィア生まれの人は、ちょっとありがた迷惑(笑)。

日本も今は訪日外国人が3000万人ぐらいですが、もっと伸ばせるはずです。5000万人でもおかしくない。鑑賞する文化、伝統文化、世界遺産と、もろもろの財産があるわけですから。上手にやれば、観光が2番手、3番手の収入に必ずなりますよ。

中国、韓国、台湾、ベトナムと、彼らはもう日本と同じようなものを作れるし、時に安価にも生産できるわけですから競争はどんどん激しくなる。日本は観光に力を入れないと、あと10年先が大変です。

カデロ大使
なにしろ観光はお金の入り方もラクです。飲食やお土産だけでなくお金を払うポイントは多いですし、その国の文化にもトータルに影響を与え、それがまたビジネスになる。

サンマリノもここ数十年で観光が大きく発展しました。サンマリノの主な財源には、記念切手やコインの発行による収益、観光収入、それとワインの販売益もあります。切手やコインは非常に人気ですし、ワインは政府が生産していて、国が品質を保証しています。古くから陶器の製造でも有名ですね。

──日本もその意味では、サンマリノのように良さを活かすことが大事ですね。「美しさ」や「フレンドリーな精神」でリスペクトされる国になることによって、さらに効率よく観光収益を高められるはずだと。

カデロ大使
日本は治安もいいですからね。

女性が増えれば治安が良くなる?

カデロ大使
なぜ日本は治安がいいかというと、人口に占める女性の割合が多いからだと私は思います。人口の52%は女性です。だから平和が保たれやすいんですよ。

──なるほど。面白い観点です。実は、僕たちの会社の社員は80%が女性なんです。

カデロ大使
うらやましいですね。私も雇ってください(笑)。

たとえば、治安が良いと言われるスイスも女性の割合が高い国です。サンマリノもほぼ同じくらいですが、女性のほうが多いですね。ベトナムも比率では女性が多く、うまくいっていますね。

──たしかに。実は昨年の春にベトナムへ行ったんですが、視察した企業でも女の人が多いところはうまくいってました。サンマリノに始まり、歴史の裏づけがあることでユニークさが増していますね。

カデロ大使
大昔には、国同士が女性を取り合って戦争した、という歴史もあるくらいですからね。

私はマリンスポーツが得意なのもあって、グアムとサイパンを訪れたことがあります。同じほどの面積ですが、グアムには軍人がいますから、女性1人に対して平均100人の男性がいる計算です。サイパンは軍隊がありませんから、男性1人に対して、100人の女性なんです。

サイパンは女性がビキニで夜の海岸を歩いても問題が起きない。それも女性が多いからではないでしょうか。男女比のバランスで見れば、インドは女性が2000万人足りません。中国も2200万人足りない。

女性が多いのは日本のすばらしいところなのですが、日本人は気がついていませんね……。

それと、もうひとつ大切なことがあります。世界中にはさまざまな宗教がありますが、どれもシンボルは男性です。キリスト、アラー、マホメット、みんな男性です。でも、日本の神道は「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」が主神ですよね。

──あぁ、女神ですね!

カデロ大使
われわれのスターティングポイントは女性から生まれること。ですから、女神を称えることはとても論理的で、とても深い意味を持っています。

そして、神道は、山や川など自然現象を敬い、八百万の神を見出す多神教の宗教です。
国家精神の基本に神道を置く日本という国と日本人は、世界的に見てもエコロジカルで平和的な民族です。世界中に神道の哲学が伝わったなら、私はもっと平和に近づけるとも思うんです。

 

PROFILE
サンマリノ共和国特命全権大使/駐日外交団長
マンリオ・カデロ
イタリアのシエナにて出生。イタリアで高等学校卒業後、フランス・パリのソルボンヌ大学に留学。フランス文学、諸外国語、語源学を習得。1975年に来日、東京に移住し、ジャーナリストとしても活躍。1989年に駐日サンマリノ共和国領事として任命される。2002年、駐日サンマリノ共和国特命全権大使を任命され、2011年5月、駐日各国大使の代表である「駐日外交団長」に就任。現在、講演活動など幅広く活躍している。イタリア共和国騎士勲章など多くの勲章を受章。著作に『世界が感動する日本の「当たり前」』『だから日本は世界から尊敬される』(共に小学館)など。