心の声を聞くために、必要なのは「自分のトリセツ」と「自分の居場所」。──精神科医 星野概念さん【後編】

書き手 小野民

写真 土屋誠

心の声を聞くために、必要なのは「自分のトリセツ」と「自分の居場所」。──精神科医 星野概念さん【後編】

精神科医の星野概念さんへのインタビュー後編です。

前編では、迷走しながら歩いてきた自身のこと、ミュージシャン、文筆家とマルチな仕事ぶりに見えても、精神科医のお仕事につながっている、というお話をうかがいました。後編では、星野さんが考える「生きづらい時代にちょっと楽になる処方箋」をお届けします。

「生きづらい時代」なのはなぜ?

──いまの日本社会は、決して働きやすい、生きやすい社会とは捉えられていないと思います。仕事が辛くて自律神経が乱れたり、鬱になったりする人も多いです。なぜ、多くの人がバランスを崩してしまうような働き方になってしまうのでしょうか。

星野
昔からそうだったのかもしれないですから、一概には言えないのですが……いろんな人がいていいと思うんですよ。

結果がすべてとか、How toを積んでそれ以外は無駄だと考えるのが合う人もいるし、逆に「無駄無駄って言われても、そんなに効率よくできないよ」っていう人もきっといるじゃないですか。後者の人たちが、肩身が狭くなっているのは感じます。

マニュアル化されていた方が楽ですし、一見分かりやすい「こうすればこういう結果が出ます」という立て付けの方がいいみたいな雰囲気がある気がするんです。だから僕みたいな人間にとっては、窮屈な社会に感じるんです。

「私は〜したい」という能動的な気持ちは本能に近いけれど、「こうすべき」「しなければならない」は、自分に素直な気持ちとはいえません。

──How to的なものに、自分も当てはめてしまう。

星野
そうです。「〜しなければならない」に縛られるということは、「○○したいのにこのケースは△△すべきだ」と我慢すること。自分の本能を抑えて、社会的なものに合わせていくかたちをとっていくことになる。

もちろん、「〜したい」ばかりで社会性がまったくないのも困るけれど、「こうすべきだ」と自分を抑えすぎちゃって、抑圧しすぎちゃうからどんどん辛くなっていくのが「葛藤」です。「○○したいのに△△しなければならない」という状況で葛藤が生まれると心理学では考えられているんです。

だから「○○したい」と「△△すべきだ」のバランスが、その人の生きづらさ、生きやすさを決定している部分が大きいと考えています。たとえば、6:4で6「○○したい」が優位だから「△△すべきだ」も、まあできるかなくらいなバランスが大事だと思います。でも「○○したい」を無下にしがちな人は多いです。

──モヤモヤしてしまうときには、ただ漠然と「葛藤」があると思っていましたが、葛藤が生まれてしまう理由や、「したい」と「すべき」のバランスを頭のなかで整理してみるのは、有効そうですね。

星野
人間は社会的な生き物だから「社会でこうするためには、こうしなきゃいけない」とか、「この場所ではこうしなくちゃいけない」が先行しがちなんです。でもその前に立ち止まって「こうしたいけど」という自分のなかの前置きを認識してみてもいいと思います。

自分のなかの「〜したい」がどんどんなくなっちゃうと、「私は結局何をしたいんだろう」となって、突き詰めると「何で生きてんだ」みたいな、アイデンティティクライシスに陥りがちです。

──この前インタビューした方も「本当の自分の答えは心の奥底には絶対あるから、その声をちゃんと聞くようにすれば大丈夫」って言っていて、本当にそうだなあとすごく心に残ったんです。でも、うまく心の声が聞けない人も多いですよね。どうしたら「○○したい」のバランスを優位に保てるるのでしょう。

星野
「○○したい」に「△△すべき」「△△しなければならない」が乗り過ぎて、「○○したい」がどこにあるのか分からなくなっちゃうんですね。

生きがいにもつながる話だと思うんですが、「自分にとって心地いい生き方」を見つけるのって難しい。「何歳だったらこうあるべき」だとか、世の中の規範にもやっぱり縛られちゃうし。

──いっぱいありますね。「結婚するには定職についていないといけない」とか。

星野
そうそう。それらをなるべく1回疑ってみる。「そもそも何で、結婚するのに定職ついてなくちゃいけないの」と。その結果、「こういう理由で、やっぱり定職にはついてないとな」と思うのと、最初から疑わないのは心持ちが全然違います。

How to本より、オーダーメイドの「自分の取扱説明書」

──難しいけれど、ひとつずつ常識とされるものを疑ってみたり、地道に心地いい地点を探していくしかないですね。

星野
いずれにせよいつもバランスよく生きるのなんて至難の技ですから、自分のトリセツを作っておくのはいいですよ。患者さんにもよくおすすめする方法ですが、「ちょっと楽になる」ってことが日常的にできるようになりますから。

イライラしているときはこうするとちょっと収まるかもとか、疲れているときはお酒を飲む、サウナ、落語が有効とかね。僕は「酒、落語、湯」が三種の神器です(笑)。

──なるほど。私の場合は、NET FLIXの食のドキュメンタリーを見る、温泉、おいしいものを食べるが三種の神器かもしれません。

星野
「自分がこういう風になったときは、こういう風に自分にしてあげるといい」きっと誰にとっても、あると思うんです。

たとえばイライラについては、自分で気づくよりも先に、たとえばですけど、「やたら部屋が散らかってきたらイライラしている兆候」と自分の傾向を理解することもできます。専門用語で「ストレスコーピング」というのですが、ストレスに対して、なんとなく行動するのではなく適切に対応することでストレスって結構減らせます。

トリセツに書いたことを、ちゃんと実践することは僕が心がけていることです。

──トリセツは心のなかにあるのですか。それとも、ちゃんと「もの」として存在しているのでしょうか。

星野
汚いメモですけどちゃんと書き出しています。で、モヤモヤするときにそれを見ると、「こういう風にしたら落ち着くんだった、ちょっと安心するんだ」と気づいて、名前がある人を「飲みに行こう」と誘ったりしています。

──そうか、物ごとだけじゃなく、人が安心材料な場合もあるんですね。

星野
「○○のときに△△さん会ったら安心できた」なんてことも書き留めておきます。自分のトリセツだから、めちゃくちゃ個人的になる方がいい。すごく個人的なかたちにトリセツを作っておくと、自分のメンテナンスができると感じています。

豊かな「無駄話」、できている?

星野
もうひとつ、人が生きていく上で不可欠なものについて最近すごく考えているんです。それは、居場所……もうちょっというと話せる場所です。

精神科で診察している人は、相談に来ているわけです。その人たちは大変なりにひとつ話せる場所があることになります。ほかには、なじみのスナックとかがそういう場所になっている人もいると思います。

でも、会社で愚痴を抱えてるんだけど、話せる場所がないとします。そうすると、ギスギスして人に当たったり、関係性が悪くなっていく悪循環が生じる。こういうことが結構起こっている気がするんです。奥さんも子どももいて、一見うまくいっている風なんだけど、家でも会話があまりないとか、本人も気づいていないけど、実は孤独って人、わりと少なくないなと思うようになりました。

星野
僕『ラブという薬』(いとうせいこうさんとの共著、リトルモア)という本のなかで、「気軽に精神科に行くのもありですよ」みたいな話もしていたんです。ただ、まあ、その言葉がちょっとだけ一人歩きしちゃっている。精神科に来ればなんでも解決できると受け取る方もいて、もうちょっと気をつけなければいけなかったと思っています。

ようするに、物理的な居場所や心の居場所が必要だと思う。でも、どこに寄り添ったらいいか見つけられない人がいたら、その候補に精神科やカウンセリングとかも入れてあげてもいいと言いたかった。

それはなんでかというと、「相談に来てください」って門戸を開いている場所ってそんなにないから。それなのに、精神科受診とかカウンセリングの敷居があまりにも高い気がするから。

精神科に行こうキャンペーンをしているわけではないんです。でも、居場所、拠り所があればいいと思う。病院でなくても、ふらっと行って、「最近どう?」みたいな感じの話ができる曖昧な場所、寄り合い所みたいなのがあるといいんじゃないかと考えているんです。最近は曖昧な場所ってどんどんつぶれていきますしね。

──特に都会だとそうかもしれませんね。田舎はまだまだ曖昧な場所もたくさんあるかもしれません。

私は近所のおばあちゃんちにたまに行ってお茶飲んだりして、なにか重要な話をするわけじゃないんだけど、いい時間だったなってことがあります。

星野
そういうことです。そういう場を作りたくて、『ラブという薬』を一緒に書いたせいこうさんと、構成してくれたトミヤマユキコさんと、青山ブックセンターで「青山多問多答」というトークイベントをやったんです。

「曖昧な場所が少ないと思っている」という前提で、「雑談の場所にしよう」とみんなからお悩みを募集して、一応せいこうさんとトミヤマさんと僕が考えたりするんですけど、ああでもないこうでもない言って、答えは出さない。

──井戸端会議的な感じですね。

星野
まさにそうです。僕らがごにょごにょ言っていると、「こうしたら良いんじゃないかな」って参加者も考える。考えると、参加している感じになる。架空の寄り合い所が少し立ち上がっているような感じで、すごくよかったんですね。1回だけのはずが、また来月やるんですよ。

──もう次の予定が決まっているということは、それだけ人が求めている。

星野
そうだと思います。ああだこうだと人のこと考えたりとか、物事について好き勝手言ったりするのって、なんだか豊かなんですよね。

原因と結果がある、目的があるから行動がある、という直線的なことではなくて、ぐるぐるぐるぐるして何かにたどり着くみたいな円環的なかたちもゆるさがあっていいな、おもしろいなって思う。だから、曖昧な場所をどんどん作っていきたい。そんなことを最近は考えています。

初めてなんですよ、僕。「こういうことを僕はやりたいです」って思って、人に言っているのは。

──人生初ってすごいです。NBA選手とか、武道館でコンサートというのはあったけれど、今回のは利他的…という意味で初なのでしょうか。

星野
自分の人生のテーマみたいな感じですかね。音楽の夢が途切れたあと、そのときどきを楽しく生きられればいいと思えるようになったのが、よかったのかもしれません。

僕は、よく行く飲み屋の店主と一緒に酒蔵巡りをしたり、田んぼを手伝いに行ったりしていますが、その人が居酒屋と八百屋を今度やりたいと言っていて「ちょっと食べられたり、物を売ったり、よく分かんない感じがいいと思うんだよね」と。

そういう場ができたら、僕も「話ちょっと聞きます」みたいなことをやってみようかと思案中です。精神科に来る手前で行ける曖昧な場所作り。それがこれからやりたい仕事です。

前編「未来への不安に効く特効薬はない。白黒つかない、曖昧さの先にあるものを信じて。

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