全然違う兄妹だからこそ生み出せた「北欧、暮らしの道具店」誕生ヒストリー__青木耕平×佐藤友子× 嶋浩一郎 B&Bイベントレポート【前編】

書き手 編集スタッフ 馬居

写真 鍵岡 龍門

全然違う兄妹だからこそ生み出せた「北欧、暮らしの道具店」誕生ヒストリー__青木耕平×佐藤友子× 嶋浩一郎 B&Bイベントレポート【前編】
2018年10月2日、下北沢の本屋・B&Bにて行われたイベント「『北欧、暮らしの道具店』に学ぶ、愛されるサイトづくり」にクラシコム代表・青木と「北欧、暮らしの道具店」店長・佐藤が登壇いたしました。モデレーターは、B&Bを運営する博報堂ケトルの嶋浩一郎さん。

嶋さんに引き出された様々な秘話の中から、前編では、兄妹で創業するに至った背景から、度重なるピンチを乗り越えて「北欧、暮らしの道具店」が誕生するまでのお話をまとめました。

「暮らしの手帖」に感じるシンパシー

博報堂ケトル・嶋(以下、嶋)
今日は本当にたくさんの方がいらっしゃっていて、びっくりなのですが。

クラシコム代表・青木(以下、青木)
すごいですよね!

「北欧、暮らしの道具店」店長・佐藤(以下、佐藤)
嬉しいです。ありがとうございます!


まず、今日のお二人が運営されている「北欧、暮らしの道具店」のご紹介から。「北欧、暮らしの道具店」って、僕は「暮しの手帖」に通ずるところがすごくあるなと思っているんですね。「暮らしの手帖」の編集長であった花森安治さんが作った実用文十訓というのがあるんですけど。

(1)やさしい言葉で書く。
(2)外来語を避ける。
(3)目に見えるように表現する。
(4)短く書く。
(5)余韻を残す。
(6)大事なことは繰り返す。
(7)頭でなく、心に訴える。
(8)説得しようとしない(理詰めで話をすすめない)。
(9)自己満足をしない。
(10)一人のために書く。

これ、すごくいいでしょ。僕も時々読み返すんですけど。僕は特にこの10個目「一人のために書く」というところが好きで。「北欧、暮らしの道具店」はかなりこの十訓をちゃんとやっている感じがしてすごいなと。

佐藤
ありがとうございます!実は、今日、おすすめの本を持ってきてくださいとのことだったので、『花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部 』(暮しの手帖社暮しの手帖社)という本を持ってきていまして

まさに「暮らしの手帖」編集部で、花森安治さんと一緒に働かれていた方が書かれた本なのですが、スタッフに配ってしまうくらい愛読しているんですよ。「一人のために書く」ということもそうですし、私たちがずっと考えいたことが書かれている!って。


なんと、偶然ですね!メディアとして、この十訓を感じさせるコンテンツをつくれているってのは本当にすごい。

でもまあ、そもそも「北欧、暮らしの道具店」はメディアなのですか?お店なのですか?コミュニティでもあるのかな。佐藤さんは「店長」と名乗っているということは、「お店」だと思われてるんだろうし…。まあ、今日はその辺りを聞いていきたいなと。

まずは、代表の青木さんから、簡単に事業の説明をお願いしてもいいですか。

青木
僕らの事業は、基本的には仕入れた商品をインターネットで販売するEコマースなのですが、ここ数年はオリジナル商品にも力を入れていて、売上の30%くらいを占めています。あとは、メディアとして広告事業も営業利益の4分の1を占めるまでに成長してきていますね。

それから最近では、ドラマラジオも制作していて。2019年くらいに全国で映画を配給するということができないかなと思っていたり。いろんなことをしています。


佐藤さんはどういった役割なのですか?

佐藤
私は、兄の青木とは3歳離れていまして、13年前に一緒にクラシコムを創業しました。今は会社では取締役として、「北欧、暮らしの道具店」では店長として、あらゆるプロダクトとコンテンツに責任を持っております。

商品はもちろん、読みものやドラマ、ラジオも含めて、お客様の目に触れるものが、本当に私たち「らしい」ものかどうか、というところを最終的にジャッジメントするのが私の役割なのかなと思っています。

性格が違う兄妹だからこそ、一緒にやろう


クラシコムを創業されてから13年目。でも、「北欧、暮らしの道具店」は12年目なんですよね。最初は違うことをされていたと。

青木
最初は賃貸不動産のC toCのマーケットプレイスというか、不動産屋さんを通さずWEB上でやりとりできるサイトを、僕が34歳のときに立ち上げました。


そのとき、34歳?それまでは何をしていたのですか。

青木
その前は、エレベーターのメンテナンスをする会社を共同経営者と経営していました。


え、エレベーターのメンテナンスの仕事。意外ですね。なぜ、新たに起業を?

青木
それは、僕のすごく素直なところが出てきてしまったというか…。当時、誰もが読んでいた『ウェブ進化論』(ちくま書房)を読んで、これからはインターネットだ!ってなっちゃったんです。


意外と影響されやすいんですか?

青木
めちゃくちゃ影響されやすいです。そもそも起業を思い付いたのは、『金持ち父さん貧乏父さん』(筑摩書房)を読んだからですからね(笑)。


なるほど、本は人生を変えますね。僕らは本屋をやっていますから、それはとってもいい話(笑)。それで、妹の佐藤さんを誘って起業したと。佐藤さんは、不動産に興味はなさそうですが……

佐藤
全くないですね(笑)。私はそのころは、インテリアコーディネーターをしていました。


では、なぜ一緒にやろうと?ほっとけなかったんですか。

佐藤
うーん、ほっとけないというよりも、子供の頃から兄と一緒に何かをやると、面白い人が集まってくるという経験はあったんです。若い頃には一緒にバンドを組んでいたり、兄となら結果として私も好きだなと思える人たちとグループができる、ということはわかっていました。

ですから、今回もいっちょ噛んでおくか、くらいの気持ちで。まあ、手伝うけど、私は私の道としてインテリアコーディネーターも続けるけどね、と。


青木さんはなぜ、妹さんを誘ったのですか。仲が良かったんですかね。

青木
というよりも……僕らは本当に性格が違うので、できることが全然違う。お互が嫌なことを押し付け合えるんです。だから仲が良いというよりも、あいつがいると楽なんだよねってって感じで。


お二人はどんな風に違うのですか?

青木
僕は戦略的なことを考えたり、外部と交渉するというところまではできるんですけど、人を丁寧にまとめたり、ちゃんと進めるところまではできなくて。

映画のプロデューサーと監督の関係と言ったらわかりやすいかもしれません。僕はプロデューサーで、いくつか「こんなことやったら?」と監督である妹に提案して、その中で妹が「これかな〜」と選んだものを実現するために奔走する役割です。

物事の頭とお尻をやるのが僕で、中身を詰めてるのは妹という感じですね。それが、創業当初は僕のアイデアで作ろうとしたからよくなかったんですよ。プロデューサーが作ったらだめでしょっていう。


最初の事業はどうだったんですか?大変だった?

青木
大変というか…失敗すらしなかったんです。何も起きないまま、終わっていたんです。

佐藤
ただ、資金が尽きていったという。


ああ……、起業は、そううまくは行かないですね。

青木
この失敗で、僕は自分のアイデアでビジネスをやったらダメだということを学びました。プロデューサーに徹するべきだと。

減り続ける資金……。南青山のオフィス→机ひとつへ


最初の会社の事務所はどこにあったんですか。

青木
南青山です。でも、事業が厳しくなってきてからは、妹が働いていた中目黒のインテリア事務所の机を2万円で借していただいていて。


え、転がり込んだんですか。

佐藤
私がインテリアコーディネーターとして勤めていた会社の方々が、私たちの会社がうまくいってないことを知って、佐藤さんには辞めないでほしいけど、その会社を続けたいなら場所を貸してあげるよって。可哀想なお兄ちゃんに。


なんて良い会社なんだ。会社が会社に居候とか聞いたことないですよ!

佐藤
めちゃくちゃ懐の深い社長だったですよ。社員のみなさんも優しくて。兄にケーキを買ってくれたりとか。

青木
そう。むちゃくちゃ優しかったんです。

兄から妹へ、罪滅ぼしの社員旅行のつもりが…


そこから、北欧をテーマをするまでにはどんな背景があったのでしょう。

佐藤
もう、資本金があと3ヶ月分くらい残っていなくて、静かに閉じるのを待つだけという状態になってしまったんですね。

そして、ちょうどその頃、私は夫の出張に合わせて北欧に行ったんです。それで、北欧のライフスタイルに衝撃を受けてしまって。その時までに生きてきた30年間の人生観が変わるような体験でした。

そんな話を兄にすると、そうしたら、残りの資金で、兄妹2人で北欧に行くか?って言ってくれて。

青木
完全に罪滅ぼしモードだったんです。兄の謎の起業に付き合わせたあげく、爪跡も残せぬまま妹の会社に転がり込んで終わるっていう。


それで残りの資金で北欧へって、すごい発想ですね。

青木
もう一気に使ってパーっといこうと。当初は後先のことは考えていませんでしたね。

でも、行くと決めてから3、4週間あると元気が出てきちゃうんですよね。段々と、商売人として、ただ妹と旅行に行って帰ってくるのは悔しいなと思うようになって。それで、向こうで買い付けたものを日本で売って、せめて交通費くらい取り返せるアイデアはないのかと考えました。

そうしたら、妹が北欧食器のヴィンテージはいいんじゃないかって言うので、じゃあクレジットカードの限度額まで買ってヤフオクで売るかって。


この期に及んでチャレンジャーですね(笑)。ヤフオクで売ろうか、から今の「北欧、暮らしの道具店」が生まれたということですか。

佐藤
まあ、そうですね。大江戸骨董市かヤフオクで売ろうと思っていました。

想定外のピンチが思わぬやる気スイッチに


実際、北欧に行ってみて、どんな感じだったんですか。

佐藤
兄は、行きの飛行機から向こうに到着してすぐは、事業で失敗して来ているものですから、ものすごく元気がなかったんです。それこそ、うどんを一本ずつすすってるみたいな状況だったんですけど。

でも、私がもともと調べていたアンティークショップや蚤の市に一緒にまわっていく中で、どんどん元気になってきたんです。素人ではありましたが、それだけ何件もまわると目が養われていって。すごく魅力的なものを山ほど見ていくうちに、その好奇心が元気にしてくれたのかもしれません。

青木
正直、当時の僕はアラビアが何なのかすらわかってなかったんです。「お兄ちゃん、アラビアって書いてある食器を集めて!」と言われても、どうしてフィンランドでアラビアっていう中東の食器を集めないといけないんだよって思っていたくらいで。

でも、根底では僕もインテリアが好きなので、見たこともない魅力的な商品が並んでる!という興奮はありましたね。

ただ……、いざパッキングして、船便で送ろうと郵便局に行ったら、なんと数年前に船便は終了していたんです。航空便しかないと言われてしまって。送料が5倍くらいになるんです。つまり、事前にしておいたコスト計算が崩壊するっていうのが判明して。

でも、不思議とそこでスイッチが入って、さらに元気になったんです。


危機の時こそチャンス、ということでしょうか。

青木
そうですかね。どうしようとあれこれ考えて、とにかく日本の大使館に本当のところはどうなのか聞こう!とか。色々しているうちにどんどん元気になってしまいました。

さらなる想定外の事態で、温めていた新展開へ


結局、船便はあったのですか。

青木
いえ、航空便で送るしかなかったです。


郵便局員は正しかったんですね(笑)。

青木
さらにですね、食器を輸送するには、どんな風に梱包するべきなのか妹に聞いたら、新聞紙でくるんだらいいよって言われたんです。

佐藤
バカですよね……。

青木
それで、僕は彼女が言う通りに、その辺で集めたフリーペーパーで包んで、スーパーで貰ったバナナ箱に詰め込んで送ったんです。そうして、日本で荷物を受け取ると……

佐藤
開ける前から、ガシャガシャと……


嫌な予感……

青木
というか、確信ですね。絶対に割れているという。実際、送ったうち半分が割れていました。

ただ、そうなってくるともうヤフオクに出品しところで大した利益にはならない。だったら1回で利益を出さなくてもいいなと思い直して。ECサイトを立ち上げて売ろう。たとえ売り切れてしまっても、欲しい人にはメールアドレスを登録してもらって、再入荷したときにお知らせメールを送ればいいんじゃないかって。

実は、それまでも通販ビジネスには興味があったので、いくつか本を読んでいて。そこで、通販ビジネスでは「顧客リスト」が大切だということがわかっていました。つまり、今回は顧客リストを作ることができればいい。この後また仕入れをして、2、3周目から元を取ろうと切り替えました。

「北欧、暮らしの道具店」に即決!命名の理由とは


そしてECサイトを作り始めたわけですね。「北欧、暮らしの道具店」というお店の名前はどう思いついたのですか。

佐藤
すぐ決まったということだけは覚えています。

北欧ブームはその数年前から始まっていたのですが、その前年にかもめ食堂がヒットして、IKEAがもうすぐくるよというタイミングで。もっと一般層が「北欧雑貨」に興味を持ち始めていまいした。

ですから、それまでのオシャレなデザインという文脈ではなく、私のような女性が生活の中で使うようなイメージで販売しようということを最初に決めて、名前も方向性で考えようとなりました。

青木
雑誌でいうと、それまでは『Pen』(CCCメディアハウス)とか『BRUTUS』(マガジンハウス)といった感じの雑誌が北欧を取り上げていることが多かったのですが、それよりも、『ku:nel(クウネル)』(マガジンハウス)や『天然生活』(地球丸)という文脈のお店にしたいよねと。

だったら同じように日本の名前をつけたほうがいいんじゃないか。SEO対策を考えたら「北欧」っていれてた方がいいね、とか考えていって。僕からは「北欧雑貨倉庫」ってどう?って。


え、なんか100円ショップみたいな名前ですね。

青木
そう、だから僕が考えたらダメなんですよ。もう、秒で否定されて。

佐藤
秒殺してしまいました。

遂にサイトOPEN!初日の反応は…?


「暮らし」を名前にいれたということも素晴らしいですよね。ライフスタイル提案をするメディアだってことが一発でわかる。いま、多くの媒体がそういう方向を目指していますが、ある意味先取りしましたよね、コンセプトを。さすが店長です。

で、実際売ってみてどうだったんです?

佐藤
実は、ネットショップを作るのは初めてだったので、間違ってずっと開店モードで編集してしまっていて。検索エンジンにも引っかかってしまったので、準備しているそばから、カートに入れて購入されてしまったりして。でも、そのくらいヴィンテージの北欧食器を探されてる方が多かったんですよね。

そして1ヶ月くらいの準備を経て、9月18日夜8時に開店しました。兄から「オープンしました」って電話ががかかってきて。

するとなんと、8〜9割の商品がその晩のうちに売り切れてしまったんですよ。あれは、もう、痺れましたね。

青木
あれ以上に痺れる経験はないよね。

佐藤
もう、本当に嬉しくて。受注が入るとメールが送られてくるのですが、どっどっと未読メールが加算される度に、ひとつひとつに頭をさげていきました。


どういう顧客が多かったのですか。

佐藤
ほとんど女性の方で、ヴィンテージの食器を検索して訪れてくださった方たちなので、コレクターという感じだったと思います。

訪問者にお返しがしたい、メディア展開への第一歩


でも、最初は単純に北欧雑貨を売るカタログ的なサイトだったんですよね。それが、今のメディアというか、世界観のあるサイトになっていったのはどういうことでしょう。

佐藤
それが、早い段階でカタログ的では無くなっていたんですよ。

青木
というのも、とにかく当時の北欧のヴィンテージ雑貨って需要過多、供給過少な商品で。入荷した瞬間に売り切れてしまうので、週に1回入荷するとなると、その日のうちにほとんど売れてしまいました。つまり、あとの6日は良い商品がほぼないという状態に。

そこで、せっかく訪れてきてくれた方に申し訳ないので、何かお返ししたいねということで、2人で交代でブログを書いていました。

あとは、とにかくメルマガ会員を増やしたかったのですが、メルマガ限定でプレゼント!なんて財力がないので、メルマガだけのコンテンツを作って購読者を増やすというのをやっていて、それもメディアとしての一歩ですね。


なるほど、お金がなかったのが良かった、ということはよくありますね。そういった、ブログやメルマガというのは、意図してやっていたところもありますか。その後に媒体の世界観を伝えたいとか。

青木
もともと個人のテキストサイトをやっていて、その経験から一つ言えたのは、とにかく内容は問わず、パーソナリティが表現されたものが日々更新されるということが重要だということで。


世の中のEC業界が、速さや便利さを追求していく中で、キャラ立ちするべきだということに気づいてたんですね。そういう方向性って、全然性格が違う兄弟でどうやって共有していったんですか。

佐藤
そういう価値観は似ていた部分なのかもしれません。得意不得意は全く違いますが、こういう場所って居心地がいいよねとか、こういう人には心を開いちゃうよねというところは似てたので。そこは、議論なく同じことを夢中で進められました。

後編では、メディアとしての「北欧、暮らしの道具店」についてまとめました。ぜひご覧ください。
「後編:ECメディアが広告媒体になる、その強みとは

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