仮面はいつか取れなくなるから、仕事にも「自分らしさ」を。──川内有緒さんインタビュー【前編】

書き手 小野民
写真 鍵岡龍門
仮面はいつか取れなくなるから、仕事にも「自分らしさ」を。──川内有緒さんインタビュー【前編】
アメリカの大学院を卒業、日米でコンサルタントとして活躍、パリの国連職員も経験……どうしても肩書きで判断しがちな私たちにとって、最強の「できる人」なキャリアがプロフィールに並ぶのは、ノンフィクション作家の川内有緒さん。

ただし、過去のインタビューを見ると「転職の度に大陸を変える女と言われる」とか、「プロフィールが一人歩きしているのが最大の問題」とユーモアたっぷりに語っています。

そんな彼女が、40歳を目前に手にした職が「ノンフィクション作家」。その作品は清々しく、目の付けどころには唸らされ、読後感はちょうどいい湿度のぬくもりがあるような……私は、そんな彼女の作品のファンでもあります。

著書のなかには、ご自身がパリで働く日々を描いた『パリの国連で夢を食う。』もあり、華麗なる経歴とは裏腹に愚直に「自分らしい仕事」を探してきた生き方のギャップに興味が湧きます。

いつかお話をうかがってみたいと思っていた今年、2年ぶりの書き下ろし作『空をゆく巨人』が開高健ノンフィクション賞を受賞するというおめでたいタイミングで、インタビューをお願いすることができました。

今、満ち足りた生活を送っているという川内さんのこれまで歩いて来た道、ノンフィクション作家という仕事について、フィットする仕事とは?ということなどをうかがいました。

ノンフィクション作家前夜、デビューは大舞台

──以前インタビューで、『私の一番の間違いはプロフィールが一人歩きしていることだ』とおっしゃっていて、おもしろいと思いました。アメリカや日本でコンサルタント、パリで国連職員というのもすごいけれど、ライターである私からすると、川内さんが初めて文章を発表した場所が、ANAの機内誌『翼の王国』というのが驚きです。たぶんみんなの憧れの媒体だし、普通、ありえないです(笑)。

川内
本当ですよね。振り返ると本当にありえない。それに、物書きになるつもりもなくて、日本の会社を辞めてパリに行くまでの間に決まった話だったんです。

その頃、『バウルを探して』(幻冬舎)のカメラマンでもある中川彰さんと知り合い、意気投合。それでなぜか中川さんのつてのある『翼の王国』の編集部に一緒に売り込みに行こうということになって。

私は南米によく行っていて詳しかったし、スペイン語も話せたから、南米の取材をやろうと盛り上がったんですよね。

売り込みに行く当日、私は職場から直接編集部へ行く予定だったんだけど、ちゃんとした企画書も用意できないまま、そこに書いたのが、メキシコの走る民族タラフマラのこと。のちに『BORN TO RUN』(NHK出版)という本に取り上げられて有名になった民族です。まだ当時は日本では全然知られていなかったので、この民族のことを取材したいと想いを込めて書くはずが、忙しすぎて5行だけの企画書になってしまって(笑)。

編集部に行ったら、当時の編集長と、今でも大リスペクトする佐伯誠さんという素晴らしいライターさんが2人で待っていてくれて、雑談しているうちに、5行だけの企画書を見て「いいね、やりなよ」って。

でも企画の舞台がANAの航路がない場所だから、「ちょっと先になると思う」と言われたんです。1週間後に電話で、「今回書くの初めてでしょう?いろいろ緊張しちゃうと思うから、先に違う記事を練習として書いてみない?」と。

それがなんとなんとシルクロード大特集で、38ページ!

──ライター経験ゼロで、大特集を任されるなんてすごいです。全部川内さんが書いたんですか。

川内
ほぼそうです。今考えても、あの特集をよく私に託したなって不思議。凄まじいですよね。

編集長と森永博志さんという『POPYE』創刊当時に編集をされていた伝説的なライターさんも一緒で、2週間ずっとシルクロードの砂漠の中を走り続けるみたいな、なかなか素敵な取材でした。カメラマンと中国人のコーディネーターとみんなでバンに乗り込んで合宿みたいだったな。

振り返ると、森永さんと一緒に行かせてもらえたのがすごく大きかった。敦煌から旅が始まったんだけど、シルクロードっていっても敦煌は観光地というかテーマパークみたいなんですよね。

着くなり、自分が想像するシルクロードの風景は失われた気がしてしまった。でもその時に、砂漠に1人ぽつんとおじいさんがほうきを持ってなにかを集めていたんです。それを見て森永さんが「ねえ見て。あの人砂漠を掃いているよ、すごいね」って声をかけてくれました。

「あの写真撮っといて」ってカメラマンさんに言って、それがまさに特集の扉の1枚になった。ものの見方というか、見るものの解像度がすごく高いことを見せてくれた。

だから、記事は私が書いたんだけど、実は森永さんがいろんなものを発見させてくれてできた記事なんです。森永さんともすごく気が合って、本当に楽しい旅でした。

──わぁ、なんていい話なんでしょうか。それに、その記事を川内さんと知り合う前の旦那さんが読んで感銘を受けていたという後日談 も、『パリの国連で夢を食う。』(イースト・プレス)で読みました。

川内
ありがたい話ですよね。あとになって編集長に、「どうして私に託してくれたんですか」と聞いたら、「だってみんなそうやって育ててきてもらったよ。経験がないからってダメとなったら誰も育てられないじゃない」って。

ライターの佐伯さんも森永さんも、雑誌の黄金時代を知っている人たち。「そんなの当たり前だよ」みたいな感じでした。

仕事の意味が変わった、国連とスクワットでの見聞

──でもそんな時に、国連に行くことになって、物書きではないお仕事をされるんですよね。『パリの国連で夢を食う。』には、そのときの様子が書かれています。パリでの5年半の間に、自分のテーマで取材を始めたことが「ノンフィクション作家」としての川内さんの本当のスタートですよね。

川内
アーティストがシェアして暮らしている、カオスなアトリエに出入りするうちに、私もクリエイティブなことをしたくなったのが始まりでした。それで周りの勧めもあって、1階から7階まで30人くらいのアーティスト全員にインタビューすることを思いついたんです。

私はフランス語が苦手だったから、フランス語も英語もぺらぺらな同僚のステファニーに頼んで一緒に来てもらって、通訳してもらって全員インタビューしました。ステファニーって美人だから、みんなすごいウエルカムモードだったなぁ。

ただ、取材が上手くいっても、いざ書こうと思ったらなんだかうまく書けなくって。

──取材がうまくいっても、書けないときもあるんですね。

川内
経験もなかったし、取材したものをどう料理したらいいか分からなかったんです。でも、日本人のエツツ(エツコ・コバヤシ)というアーティストに出会ってインタビューしたら、すごく興味深い人で、インタビューをするのがどんどん楽しくなった。自分が好きなのはこういうことかもしれないと思いました。

ほら、国連だと報告書ばかり書いてたから、好きなように書けるのも楽しくって。それが積み重なって、最初の本、『パリでメシを食う。』(幻冬舎文庫)のもとになっていきました。

──本業の国連の仕事では、周りで働く人々も残念ながら「幸せを感じる仕事」としては捉えていない様子も、川内さんの著書では記述されています。

川内
そうですね。手厚い保障がありながら、どこか不満を抱えて働いている人たちも組織のなかにはたくさんいました。でも一方で、日本にいると絵画を描いて売って生計を立てるなんて絵空事みたいだけれど、パリにはそれで生計を立てている人が当たり前にいたんです。

普通に絵が好きな人は絵を描いて、それを買っていく人がいる。小学生くらいでもお小遣いで気に入った絵を買う様子を見ているのは結構幸せな気持ちになるんですよ。

「自分らしい生き方」は幸せの確率を高める

川内
それまで、私にとっての仕事といえば、活躍の場を広げたり、お金をいっぱいもらったりするために、キャリアを積み上げていくことが是だった。

社会人のはじめの6年間過ごしたアメリカでは、成功のかたちがしっかりありました。今はまた変わったと思うけれど、90年代の当時は、家を買って、車を買って、犬飼って……みたいな。幸せそうな家族っていうのはこういうものだというのが刷り込まれていたんですよね。

それがパリに行ったら、みんな表現することに貪欲だった。

結局「仕事って何?」ってことになっていきますよね。パリにいる5年半の間に、私にとっての仕事は、もしかして「自分を表現すること」に変わってしまったのかもしれないです。

──今の川内さんしか知らないと、アメリカンドリームが刷り込まれたというのは、すごく意外です。

川内
アメリカの大学院に行っていたから、まわりがみんな貪欲だったんですよね。こういう組織で働きたい=自分の夢が叶ったという図式がしっかりありました。

「新卒でも最低いくらは欲しい」とか、そういう会話が当たり前のように毎日あって、それに対して自分も疑いを持っていなかったような気がします。

働くことは、自分を表現することなのかもしれないという視点は抜け落ちていました。でも、パリで働くうちに、国連でももちろん自分らしく表現して働いている人もたくさんいると思うけど、私がいる場所はここではないとはっきり見えてしまったんです。

──アーティストたちが表現を生業にしている現場と国連、2つの場所を行き来していたから、余計にそういう風に感じたのかもしれません。

川内
それはあると思います。ギャップがどんどん苦しくなってくる瞬間があった。自分を表現できる人ってやっぱり幸せになれる可能性が高いんじゃないかなと思うんです。

──なるほど。「表現」というのは、「アーティスト」がするものだけを指してはいませんよね。

川内
はい。写真を撮るとか文章を書くとかだけが表現活動じゃないと思います。きっといろんな表現の方法があって「自分は今、自分らしく表現できている」って思った瞬間が幸せなはず。そういう瞬間を人生のなかでいかに積み重ねられるか。

仕事が人生の中で占めるウエイトは、あまりにも大きい。仕事では仮面をつけて、家に帰れば自分らしく生きるってやっぱり無理がある。

──たしかに、単純に費やす時間で考えても、仕事のウエイトって大きいです。

川内
そうですよね。「仕事中は仮面をつけているだけ」と思っていても、仮面も自分になってくる。演じながら「自分らしくない」って思っている時点で、仮面がだんだん自分を侵食している、危険な状態だと思います。

だから、国連での仕事も楽しい部分も、刺激もいっぱいあったんだけど、その刺激は別なもので埋めていけばいいはず、と退職してノンフィクション作家になる道を選びました。

──あらためて、ノンフィクション作家になった今は、自分らしく仕事をしている感じがしますか。

川内
自分の裁量で決められるというのは、幸せなことなんだなと実感しています。その仕事を受けるか受けないか、時間の使い方、そういうもの全部自分で決めることができます。嫌だったらやめることもできるから、極めてストレスは少ないです。

でも日本人は、「ストレスがあっても耐え忍ばなくてはいけない」という意識が、植えつけられているように感じます。教育の問題になると思うのだけれど、私の小学校時代も決して明るいものではなかった。

教室に先生が君臨していて、先生の言う通りに行動しなければいけないと刷り込まれていました。私の学校では、校長先生との交換日記があって、定期的に順番が回ってくるのですが、それを2日くらい前に担任の先生がチェックするんです。

「誰かの役に立ちました」とか「お母さんの役に立ってありがとうって言われた」とか、「お年寄りに席を譲りました」とかが求められて、そんなのごろごろ転がっていないから、みんな捏造して……。

──そんな、信じられない。

川内
してもない「いいこと」をいっぱい書くんです。大人の世界は面倒臭いと感じていたから、私自身、自分を表現することとは程遠い世界の中に生きていました。それは、大人になるにつれて自分のなかでほどけてきた感覚がありますね。

ペンネームをお守りに。ノンフィクション作家として歩く

──ノンフィクション作家として歩き出すときに、「有緒」とペンネームをつけたのはなぜですか。『翼の王国』に書いたときには、本名で書かれていました。

川内
ペンネームは、2010年に『パリでメシを食う。』が出るってときに、それまでの自分を生まれ変らせる最大のチャンスだと思ったんです。

実は私、自分の本名が私の名前じゃないという感覚がずっとあったんです。それで、「ノンフィクションやっていくんだったら本名がいいですよ」って編集者にはなぜかすごく止められたんだけど、「緒」は始まりという意味もあるので「有る」ものから始めてみようっていう意味で「有緒」。それはちょっと後付けなんですけど。「有」っていう漢字が好きだったんです。

メディアに出ると、いいことも言われるけど、悪いことも言われるでしょう。でも「有緒」は私のもうひとつの人格みたいなものだから、意外と有緒が叩かれても気にならない。不思議な効果には後から気づきました(笑)。

「有緒、叩かれてかわいそうだね」って本名の自分が慰めてあげるみたいな感じがあって。不思議な効果があるような気がする。名前が一種のバリアになってくれています。

後編は、川内有緒として歩き出したノンフィクション作家の日々のこと、創作のことについてうかがいました。
後編:ノンフィクション作家という仕事。自分の奥からする小さな声に耳を傾けて。

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川内有緒さんの新刊『空をゆく巨人』(集英社)は11月26日発売です!

PROFILE
ノンフィクション作家
川内有緒
東京都出身。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業後、アメリカ・ジョージタウン大学にて修士号を取得。アメリカのコンサルティング会社、日本のシンクタンク、フランス・パリの国連機関勤務を経て、フリーランスに。現在は東京を拠点に、面白い人や物を探して旅を続ける。『バウルを探して~地球の片隅に伝わる秘密の歌~』で第33回新田次郎文学賞を受賞。開高健ノンフィクション賞受賞の『空をゆく巨人』(集英社)が11月に刊行される。

好きなこと:猫、DIY、ポールオースター、6月のパリ、音楽の日、大地の芸術祭、ヨセミテ国立公園、沖縄、そよ風、ツバメ、娘と夫、キャンピングカー、バウル、赤ワイン、冒険ものノンフィクション、ウィリアムケントリッジ、映画