「もんぺ」を半オープンソース化!地域文化ビジネス成功の裏側── うなぎの寝床 白水高広インタビュー後編

書き手 クラシコム馬居
写真 中村紀世志
「もんぺ」を半オープンソース化!地域文化ビジネス成功の裏側── うなぎの寝床 白水高広インタビュー後編
ものづくりのグローバル化、機械化、そして少子化など、様々な要因で日本の伝統文化が刻一刻と失われる中、「地域文化商社」という独特のポジションを探る「うなぎの寝床」。そのビジネスについてお話いただいた前編に続き、後編では売り上げの6割を締めるという「もんぺ」ビジネス成功までの過程をお聞きしました。

現代風もんぺは偶然の産物だった!?

──うなぎの寝床さんといえば、久留米絣(くるめがすり)のもんぺの大ヒットかなと思うのですが。

白水
でも、もんぺは、積極的に売るぞ!と思って売れたわけではなくて。僕たちが「メーカー」という立場でもんぺを作るようになったのも、たまたまなんですよね。

もともとは、「久留米絣」という織物を残していくためにはどうしたらいいんだろうというところが始まりで。久留米絣の製品は、もともと婦人服が中心。ターゲットの年齢層も高くて、百貨店で言えば、上の階の方で売られているというか。

でも、たまたま物産館のようなところに行く機会があって、そこにもんぺがあったので試してみたら、すごく着心地が良い。色柄もたくさんあるし、文化的背景もあるし、そして「もんぺ」って言葉もおもしろい。

これは、色んな層に着てもらえるんじゃないかなと思って、「もんぺ博覧会」というイベントをして、久留米絣のもんぺを販売したんです。そしたら、すごくたくさんの人が来てくれて。1回限りのイベントのつもりだったんですが、織元さんたちからの要望で翌年も開催することになって。

──そこから御社がもんぺを作るようになったんですか?

白水
いえ、もんぺを作る前に、「型紙」を作ったんです。というのも、久留米には、反物や着物を余らせている人がたくさんいて。自分たちでもんぺを作りたいという要望があったんです。

まあ、布を余らせている人なんて、この辺りの人たちだけだし、一部の人にしか売れない商品だとは思いましたが、妻と義母に型紙を引いてもらうことにしたんです。

それで、着物の反物の幅を考えて、あまり無駄が出ないように設計したら、結果、細身のもんぺになってしまって。「やばい、これは「もんぺ」を誤解されてしまう!」と思い、後から「現代風」って付け足したんですね。

──「現代風」は後付けだったんですね。

白水
そうなんです。結果的に、お尻周りが狭くなって、下に伸ばしたから細くなって。そうしたら、その細身のもんぺが欲しい!って要望が増えて。

──たしかに、もんぺにしては、スッキリしたデザインだから履きやすいと思っていました。

白水
たまたまなんですよ。そこから、僕らの作った型紙を織元さんに持っていって、そこの内職さんたちに作ってもらっていたんです。そうしたら、NHKのあさイチに出て、一気にがっと売れて在庫が全く足りなくなってしまいました。

でも、織元さんからは、これ以上作れないから布を買い取って自分たちで作ってくれと言われてしまって。仕方がないので、縫製所を探して作ってもらうことになりました。

そうしたら、長野の「わざわざ」さんや、岡山の「FRANK」さんという人気店から、もんぺを卸してほしいという要望が出てきて。でも、当時の価格は卸に耐えられる設定にはなってなかったので、卸を想定した原価で作れる生地を織元さんと一緒に開発して、製作フォーマットを作って、結果的に僕たちは「メーカー」的な立場になりました。そうこうするうちに、全国80店舗に卸すようになり、自分たちで販売するよりも、今はメーカーとしての販売の方が大きくなってきました。

使う人は想定せず、ひたすら「もんぺ」の魅力を発掘する。

──なぜ、「もんぺ」はそんなに広がったんですかね。

白水
あまり強く売り込まなかったのが良かったのかなと。

僕たちがしていたのは、もんぺの歴史的な文脈とか文化的な要素を調べて、小売りさんに提供することで、直接消費者にはこういうところがいいですよ、という風には言わなかったんです。そうすると、みんな勝手にいろんな解釈をしてくれたというか。

──「もんぺ」の背景ですか?

白水
たとえば、「もんぺ」って、戦時中、空襲演習の時に着物では逃げることができないので、政府が活動衣として指定して着物をもんぺに作り変えさせたのが始まりなんです。火垂るの墓で着ているものですね。そこから、農作業着になってという流れがあってという起源のこととか。

さらに、学芸員の方が1年間だけうちにいてくれたので、海外まで含めた研究論文を調べたりもしました。絣(かすり)は英語ではikat(イカット)といい、インド発祥の技術なので、辿るとヨーロッパに繋がって。ついには、マリーアントワネットの洋服の生地見本に絣があることがわかったり。さらに、それを現代の久留米絣の技術で復刻させたりとか。

あと、九州大学の「モンパース」っていう日本初の伝統工芸振興アイドルグループができて(笑)。彼らも、もんぺをきっかけに研究をはじめてくれたようで…

──もんぺを履いたアイドル!

白水
心理学・法学・数学・まちづくりなどを研究する真面目で賢い方々なんですけどね、いい感じにふざけてます。

彼らは、メキシコ、インド、日本の絣の柄を比較しながら、地域愛がどう柄の選択に作用するか?という心理学的な研究をしたり、絣の伝搬ルートを洗い出してくれたり、柄の成り立ちと伝搬、そして分類をしてくれたりしています。

そんな風に、もんぺをきっかけに、大学や専門家の方々が久留米絣を多角的に研究してくださった成果を、僕らはもんぺを販売してくれる売り手の人たちに伝える。ということをしていると、売り手の人は、それぞれがもんぺに様々な解釈をして消費者に伝えてくれるんです。

もんぺを手に取った理由は、柄が可愛いからという人もいるし、なんとなくテレビで見たからという人もいるし、日本製だから、伝統工芸だから良いっていう人もいるし。機能的だからいいよねっていう人もいるし、歴史的背景があっていいよねとかも。

そんな風に、ひとつのプロダクトの中に、たくさんのコミュニケーションが生まれるように要素を詰め込んでいったら、いろんな人がいろんな解釈をして広がってくれている、というのがもんぺの現状なのかなと思います。

卸しているお店も、本当に様々で。美容室もあるし、パン屋さんもあるし、呉服屋さんもあるし、商店街の服屋さんもあるし、民芸店みたいなところもあるし、住宅メーカー、カフェ、百貨店、EC、とかなり多様性があります。

──ターゲットを決めていないんですね。

白水
小売店だけでやるなら、決めた方がいいと思います。こういう風に使った方がいいですよって言った方が売れると思います。でも、僕らの仕事は、いかに商品の価値になる情報を卸した先のお店に提供できるかということなのでターゲットは決めない方がいい。

──商品にどれだけ意味を持たせるか、が役割ということですね。

白水
そうです。どんな商品も、だいたい意味はあるので。その掘り下げをどれだけできるのか、というのが僕らの仕事だと思っています。

──掘り下げて、わかりやすくする。

白水
そうですね。でも、一般消費者に対してわかりやすく、とは思っていなくて。あくまで、小売店の方々、届け手の方々が理解して、それぞれに解釈してくれれば、結果として消費者に広げてくれる、という考えでやっています。

みんなで広めたい!「もんぺ」を半オープンソース化!

白水
もうひとつ言えるのは、僕らは「もんぺ」が広がっていくことに対して、半分は制限をかけないようにしているんです。たとえ、僕たちのもんぺを真似されても、歴史や文化的な文脈を理解せずに作れば、それ以上の広がりはない。そこに制限をかけるよりは、その人たちは「もんぺ」を広めてくれているんだと考えるようにしていて。

僕らは、monpe.info というドメインで「もんぺ」のサイトを作っていますので、仮に真似されて広がっても、結果的に「もんぺ」と検索したらある一定量はうちのサイトに戻ってきて、うちの通販で購入してくれるんですよね。


もんぺHPトップ写真。単なる通販だけでなく、様々な着こなし例が紹介されている。

型紙を販売していることも、簡単に真似されちゃうんじゃないの?とよく聞かれるんですけど。型紙を販売するっていうのは、オープンソースにしているようなもので。もちろんフリーではありませんし。クリエイティブ・コモンズ的な考え方が大事だと考えてはいます。

──もんぺのオープンソース化ですか??

白水
例えば、布を持っていて、かつ自分で作りたい人は型紙を買って作ってブログやSNSで広めてくれる。一方、僕らの型紙で作ったもんぺを売りたいという方には、久留米絣もセットで卸す。企業で販売したいというところとは、審査をした上でコラボ商品にしてうちが縫製を請け負ったり、ロイヤリティを考えたりします。

みんな、「もんぺ」を広めてくれる人たちだと考えています。

そんな風にすると、もんぺはどんどん広がって、結果うちに戻ってくる。そんなことをしながら、生き残ってきていますね。

──今後さらに、もんぺでヒットを狙っていくのですか。

白水
うーん。僕らとしては、「もんぺ」はそれ自体を売ることが目的なのではなくて、久留米絣という文化を残すために、生産システムを作るということがポイントなので……。

今、たぶんうちが久留米絣の全体の生産量の10分の1くらいの布を買っていると思うのですが織元さんの生産に対する購入の比率を増やしすぎてしまうと、うちがダメになってしまった時に織元さんが共倒れしてしまいます。ちょうど良い領域が今はなんとなく見えているので、そこを広げるというよりは、適正な量に持って行き継続してやっていこうという感じですね。

僕らの価値は、好きに解釈してくれたらいい。

──では、ここから「うなぎの寝床」はどうなっていきますか。

白水
うーん、どうなっていくんでしょう。

一つ言えるのは、作り手の価値は、今後、かなり変わっていくと思うんです。作り手の価値を考える時、どうしても、技術の話になりがちなんですが、でも、それって、もう海外でやれるようになったり、機械ができるようになるわけで。作り手の価値は、技術だけでは成立しなくなってきている。

だから、作り手の価値を分解して、技術だけじゃなく、知恵や精神的なことを含めて総合的に作り手の仕事にしていかないといけないのではないかと。

例えば、今沖縄の手織りの人たちにデザインしてもらった布を久留米で量産して、ロイヤリティを支払うというプロジェクトがあって。それは、知恵の部分にお金を使うということですね。そんな風に、今が作り手の転換期かなと。

──本当に色々なことをされているんですね。

白水
そうですね。僕たちは今「地域文化商社」と言っていますけど、これからも、とにかく色々なことをやっていくと思うので、総合商社っぽくなっていくのかなと思っています。

──地域文化”総合”商社になると。

白水
そうですね。地域文化を担保するために商業機能を担っていく。そのために、色々なことをしていく。小売業に力を入れます!卸を拡大します!みたいな明確な目標はありません。でも、まあ、売り上げとしては、「もんぺ」のようなメーカー的な側面が仕事しては強くなっていくんだろうなとは思いますが。

──確かにメーカーという側面で語られることも多いように思います。

白水
まあ、僕らのことをメーカーっていう人もいるし、もんぺ屋っていう人もいるし、クラフトの店、民藝店、雑貨屋さんとして見ている人もいるし。IT企業の方には、コンテンツ制作会社って言われたり。行政とまちづくりしてるんでしょ、って思ってる人もいたり。わりとそれぞれ勝手な解釈をしてくれてますね。

僕たちの活動はわかりにくいので、アンテナを張っている人たちがそれぞれに解釈をして、一般の人たちに伝えてくれたらいいなとは思います。

──好きにしてもらったらいいと。

白水
そうですね、そこが、僕らの面白いところだと思っています。

 

前編:支援や使命感じゃない。「うなぎの寝床」が地域文化をビジネスにする理由