丹波の山奥にある「5年待ち」のパン屋。職人・塚本久美は旅をして、パンを焼く。

書き手 川内 イオ

写真 芹川 由起子

丹波の山奥にある「5年待ち」のパン屋。職人・塚本久美は旅をして、パンを焼く。

未知との遭遇

「あ、今日は機嫌がすごくいい!」

ほいろ(発酵器)からパンの生地を出した塚本久美さんが、嬉しそうな声を上げる。トレーの上にあるのは、初めて見るプルンプルンの物体。テレビや雑誌で目にした記憶にあるパンの生地とは似ても似つかない。

「触ってみて。ひんやりした感じが気持ちいいでしょ。機嫌が悪い時は、こんなにプルプルしてないんですよ」

未知なる体験は、人差し指から始まった。ツンツン突いてみると、圧倒的な柔らかさと何とも言えない心地よい感触。表面をそっと撫でると、僕の指先のわずかな力に反応して、生地がプルンプルンと縦に横に揺れる。
思わず、声が漏れた。
「……初めての感触。ずっと触ってたい」

この日、一緒にパンを作る塚本さんの友人ふたりも驚きの声をあげている。
「なにこれ! すごい!」
「ひゃー、気持ちいい!」

工房で大人げなくはしゃぐ僕らの様子を満足げに眺めながら、塚本さんは「ね、パンがかわいく思えてきませんか?」と尋ねた。

「発酵させた生地を見たら、今日はどうしちゃったの? みたいな時もあるんですよ。小麦粉はものすごく湿気を吸いやすいから、雨の日は生地の状態が違うし、寒くてうまく発酵してないこともある。このツンデレな感じがかわいいんですよね」

パン職人/HIYORI BROT代表

塚本久美

1982年生まれ。2005年に株式会社リクルートに就職し、3年後に退職。2008年に世田谷「シニフィアンシニフィエ」でパン職人の見習いを始め、7年勤務した後、2016年に「HIYORI BROT」を設立。オリジナリティ溢れるパンとその運営方法が口コミで広がり、メディア露出を皮切りにさらに注文が殺到。現在では新規の注文は5年待ちの人気店に。2018年7月には著書「月を見てパンを焼く 注文殺到で5年待ち 丹波の山奥でパンを作る理由」刊行。

一風変わったパン屋さん

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)は、店舗を持たない通販専門のパン屋さん。2016年10月、兵庫県の丹波市で開業してからわずか2年にして、注文してからパンが自宅に届くまで「5年待ち」の超人気店になっている。

通販専門ということ以外にも、この店は少し変わっている。販売するのはパンの数が違う3種類の「おまかせセット」のみ。営業日は、月の暦で決まる。その月の新月から満月にかけてと、満月からの5日間、つまり月齢ゼロから月齢20まではパンを焼き、満月の6日後から新月にかけて、つまり月齢21から月齢28までは旅する時間。

このユニークなお店をひとりで立ち上げたのが塚本さんだ。

京都の福知山駅から車でおよそ40分、緑が眩しい甲賀山の麓にヒヨリブロートのパン工房は建っている。どんな思いでヒヨリブロートを始めたかを知りたくて取材を申し込んだ際、「もし、興味があればですが、川内さまも一緒にパン焼きませんか?」というメールをもらったこともあって、パンを作ったことのない僕はドキドキしていた。

こんにちは!と工房の奥に声をかけると、小柄で、いかにもオープンな雰囲気の塚本さんが笑顔で迎えてくれた。

うまい棒の話

今から十数年前。明治大学に通っていた頃の塚本さんは、勉強の虫だった。

「ある先生が授業中に、うまい棒の長さが為替で変わるのを知ってるか?という話をしていて。うまい棒ってずっと10円じゃないですか。でも原料は輸入してるから、為替の変動によって大きさが変わるんだと。それまで経済には興味なかったんだけど、こんな小さいところにも影響があるんだと知って、そこから勉強が面白くなりました」

うまい棒は、彼女の就活を左右した。どんな仕事がしたいのかわかないまま、とりあえず場数を踏もうと受けたリクルートでうまい棒の話をしたところ、とんとん拍子で面接が進み、何度も面接官に「うまい棒の話ってなんですか?」と尋ねられ、その都度、説明した。

加えて、子どもの頃から日本のモノづくりに興味を持っていた塚本さんは、日本のトイレの製造技術の高さについても面接で熱弁。うまい棒とトイレの話で毎回盛り上がり、気づけば採用通知が届いていた。

某大手トイレメーカーからも採用の連絡を受けていた塚本さんは、父親に尋ねた。
「どっちが面白いと思う?」
「なにいってんや!トイレ売ってるよりリクルートの方がおもろいやろ!」
「そうやんなあ」

こうして2005年の春、リクルートに入社。この時、パン屋になろうという気持ちは1%もなかったという。

秘密のアルバイト

リクルートに入社後の半年間は、新規開拓営業を担当。その半年後、転職情報誌の商品企画に異動した。クライアントが広告を出したくなる、さらに読者にも響く特集企画を考えるのが仕事で、目標金額は二けた億円。この目標を達成するために日々の仕事に邁進した。

ところが2年目に入ると、モノづくりを仕事にしたいと思うようになった。小学生の頃からNHKの番組「手仕事にっぽん」が好きだったというから、もしかすると、営業時代にたくさんの中小企業を訪ね、職人肌の経営者と言葉を交わしていた時、情熱の火花が燃え移ったのかもしれない。その火がどんどん大きくなり、向かった先がパン職人だった。

学生時代にパンをこよなく愛する友人と始めたパン屋めぐりは、社会人になっても続いていた。都内だけで100軒を超えるパン屋を訪ね歩いているうちに、表現の幅広さ、パン職人それぞれのこだわりに仕事として面白味を感じるようになっていた。パン職人への想いが膨らんだ塚本さんは、休日にパン屋でアルバイトを始めた。当時は二重雇用が禁止されていたので就業規則違反だった。それでもやりたいと思えるほどパン屋への想いが昂っていたのだ。

「もともとパン屋めぐりが趣味だったから、さらに深くパン屋を知ることができるという感覚で、仕事とは思ってなかったんです。販売をさせてもらったけど、いつも買う側だったので、売る側の気持ちを知ることができて良かったですね」

この秘密のアルバイトが、彼女を予想外の場所へと導いていく。

酵母のオリンピック選手

「私がOL時代に通っていたパンのスクールでは、1キロあたり20グラムのインスタントドライイースト(イースト菌)を入れていました。でも今は、0.3グラムしか入れてないんですよ」

素早く、でも繊細に生地を成形しながら、塚本さんが柔らかさの秘密を教えてくれた。わかりやすくまとめると以下のようになる。

パンの発酵とは、イースト菌が小麦のなかの糖分を食べて活動することを指し、その過程でアルコールと水が出る。さらに酵素分解も進むので、時間をかければかけるほど生地は柔らかくなる。パン教室では時間内に焼き上げるために、早く発酵を進めようとイーストをたくさん入れる。そうするとイーストが食べる糖分が足りなくなるので、砂糖を加えざるを得ない。一般的なパン屋さんも、開店時間に焼き立てのパンを置くために、発酵時間は4時間程度のところが多く、パン教室と同じように砂糖を使用しているところも少なくない。

塚本さんは、発酵に12時間かける。そうすると、少ない菌でこと足りる。十分に発酵させるために時間をかけるので、あの異次元の柔らかさが生まれる。砂糖も不要なので、小麦本来の甘みを感じるパンになる。

「私のイメージでは、イーストは酵母の世界のオリンピック選手。能力が高くて、いつも安定して仕事ができる。だから、少ない数でも時間をかければしっかり発酵してくれます」

こう説明を受けると、限界まで水を入れた水風船のようにタプン、タプンな生地は少数精鋭のイースト菌の頑張りで成り立っているのだなと感じて、確かに愛着がわいてくる。

この日に作ったパンは、自然農法の茶園を経営している塚本さんの友人のリクエストで、生地に茶葉が練り込まれていて、ほんのり緑がかっていた。これは!という食材と出会ったら、驚くほど気軽にコラボレーションするのが、塚本さんのスタイルだ。

「炊き込みご飯かパスタにして美味しいものは、パンに入れてもたいがい美味しいと思いますよ。同じ炭水化物やし(笑)。キノコとか出汁が出そうなものを入れるのも大好きだし、よくトマトをパンに入れて焼くけど、それはパエリアのイメージですね」

長時間発酵やこの自由な発想を含めて、パン職人としての彼女のすべてのベースになったのが、志賀勝栄シェフとの出会いだった。

パン職人のカリスマ

志賀シェフは、安くてお手頃のパンが主流だった時代に手間と時間をかけて作った一斤千円の食パンや1本480円(当時)のバゲットを世に送り出し、現在のパンブームの先駆けとなったパン職人のカリスマである。

秘密のアルバイトをしていたパン屋でお世話になった堀田さんという方が、志賀シェフのお店「シニフィアン シニフィエ」を手伝っていた。リクルートでの3年目、いよいよ仕事を辞めてパン職人になろうと決意を固め、その店まで挨拶に行ったところ、「志賀シェフが未経験の人に教えてみたいと言ってるから、会ってみたら?」と勧められたのだ。

あれよあれよという間に面接の日程が決まり、迎えたその日。塚本さんは緊張のあまり、何を話したのかほとんど憶えていないという。でも、堀田さんが「平日会社で働きながら、土日パン屋でバイトするぐらい根性あるんですよ」と後押ししてくれたこと、志賀シェフに「専門学校に行った方がいいですかね?」と尋ねたら、「そんなの必要ないから今すぐ働け」と言われたことだけは、記憶に残っている。

2008年6月、リクルートを辞めた塚本さんは翌月から、東京の世田谷区にある「シニフィアン シニフィエ」のスタッフとなった。カリスマと言えば人を寄せ付けない印象もあるけど、志賀シェフは冗談を言ったり楽しそうに仕事をしていて、厨房も和気あいあいとした雰囲気だったという。パン作りに対しては一切の妥協がなく、時には厳しく注意を受けることもあったそうだが、パン職人として専門的に勉強したことがなく、何もかもが初めての体験だった塚本さんはただひたすらがむしゃらに吸収した。

働き始めて驚いたのは、厨房にあるパンや食材について「どんどん食べていい」とつまみ食いが推奨されていたこと。これは、自分たちがどんなものを使って何を作っているのか、味を知らずに美味しいものはつくれないという志賀シェフの考えだ。

「パンも食べられるんですけど、だいたいみんな好みがあって、そればかり食べるようになります。すると、何かしらの理由で味が変わった時にスタッフが最初に気づくんです。今日は塩が足りないとか、なにかいつもと雰囲気が違いますねとか。それでミスが発覚して、事故を未然に防げたこともありますよ」

毎日が実験

その当時、既に名声を得ていた志賀シェフだが、新しいパンを作ることに貪欲で、厨房には常にさまざまな食材があった。その食材を組み合わせてレシピを考えるのが志賀シェフで、生地を作るのはスタッフの仕事。しかし、そのレシピには何を使うのか素材と配合が書いてあるだけで、細かい数字や手順は書かれていない。そこでスタッフは、シェフがどんなパンを作りたいのか必死に想像しながら、生地を作る。あまりに斬新すぎて、時には日の目を見ずに消えていくパンもあった。

例えば、「わさびを入れたパン」。わさびを入れた生地をこねるだけで涙が止まらない。まったく発酵せず、シェフに「お前、酵母を入れ忘れてないか?」と問われて、殺菌成分が強くてイースト菌が死んだのだとわかった。それでもなんとか窯に入れ、焼きあがった時に扉を開いたら、わさびのツーンッとくる成分が一気に放出されて、また涙が止まらなくなった。ひと段落してパンを食べたら、わさびの味が何もしない。わさびの辛み成分は揮発するので、焼いている間にすっかり抜け落ちて、扉を開けた瞬間に雲散霧消したのだった。このわさびパンは、当然のようにお蔵入りとなった。

「ほんと実験室みたいでしたね(笑)」

この実験三昧の日々が、塚本さんにパンを作る楽しさを植え付けた。日勤の日は朝6時から18時までの長時間勤務で決して楽ではなかったが、出勤しながら「今日はどんなレシピがあるのかな」と楽しみだったという。

ヒントは足もとに

ただ、「シニフィアン シニフィエ」で7年間を過ごしているうちに、パン屋として一般的なこの勤務時間や働き方では女性が結婚したり、子どもを産み育てるということが難しいということも実感したと振り返る。

実際、「シニフィアン シニフィエ」でも腕利きの女性スタッフが結婚や出産を機に店を辞めていった。その姿を見て、結婚しても、出産しても、子育てしながらでも続けられるパン屋の在り方について考えるようになった。そのヒントは、足もとにあった。

志賀シェフは、パンを急速冷凍させることで焼き立ての風味や食感を失わない手法を編み出し、取引先に冷凍パンを卸していた。この方法なら、パンの通販ができる。

独立を考えた時、店舗を構えるとなれば販売員を雇わなければ店がまわらない。でも通販に絞れば、パン作りに専念できる。時間も自由になるし、店舗の家賃や人件費も浮く。なにより、OL時代、パン屋でのアルバイト時代していて最も苦痛だった作業がなくなる。決められたルールとはいえ、余ったパンを廃棄するのはいつも心が痛み、慣れることはなかった。

方向性が定まると、イメージが膨らんだ。

「パンって自分で選ぶといつも好きなパンばかりになるでしょう。でも誰かに選んでもらうと、このパンこんなに美味しかったんだ!っていう出会いと驚きがあって。だからお勧めセットでいいんじゃないかって」

「そうします!」

お勧めセットであれば、自分が作りたいパンを作ることができる。実験し放題だから、マンネリ化して飽きることもなくなる。

実験するなら、全国の美味しい食材とその生産者と直接顔を合わせたい。そんなことを考えていたら、島根で友人を介して知り合った群言堂という会社の社長さんが「満月になるまではアウトプットの時間と言われてるからものを売って、残りの半分はインプットの時間というからワークショップしたり、地元の人が楽しむような場にしようかな」と話していた。

その時、休暇を利用して修行に出向いたドイツのパン屋が月齢を念頭にパン作りをしていたことを思い出した。そのことを話したら「君のパン屋も月齢でやってみたら?」と言われて、ぴんときた。
「そうします!」
こうして、パンを作る時期と旅する時期を月齢で決める独特の働き方となった。

パン工房を置く場所も、同じような勢いで決まった。お店を辞めた後、職人仲間がオープンした島根のパン屋を手伝いに行って、その帰り。友人がいる兵庫県の丹波に立ち寄り、2015年の年末年始を過ごした。

その時に振る舞ったパンを食べた人が、「美味いから、うちの裏でやれば?」と誘ってくれた。そこは農具の倉庫で、パン工房に作り替えてもいいという。実はその時、東京で工房にする物件を仮予約していたのだが、「通販なら、どこでやっても一緒じゃん」と思い直した塚本さんは、その場で返事をした。
「そうします!」

「直前の島根での生活が楽しすぎたんです。イノシシを狩りに行ったり、近所のおじいちゃんが、山いもを取りにいくけど行くかって誘ってくれて、一緒に山に入ったり。それで、いなかっていいなと思っていた帰りに丹波によって、ここでやればいいじゃんって言われて。まるで日本昔話みたいな景色だし、友だちもいっぱいいたし、ここにしよう!って」

1分ごとに100件の注文

こうして2016年10月、丹波にヒヨリブロートが生まれたのだ。とはいえ、誰もやったことのないビジネスモデルで、「本当にお客さんがつくのかな」と不安に満ちた船出だった。それを見事に蹴散らしてくれたのが、かつて共に働いたリクルートの先輩や同僚だった。開業に際してとことん相談に乗ってくれただけでなく、無事に開業すると、躊躇なく注文。さらにその味をSNSでどんどん拡散してくれたのだ。もともと情報発信力が強い人たちばかりだったから、ヒヨリブロートの名は瞬く間に知れ渡り、続々と注文が届くようになった。

開業から数カ月もする頃には毎月100件ほどの注文が入り、ホッと一息ついたところでテレビ出演のオファー。2017年9月に番組が放送されると、1分ごとに100件の注文が入り、2日後には5000件を超える注文が届いていた。これが「5年待ち」の理由。塚本さんひとりで作ることができるパンは、1日に14件分。そのペースだとすべての注文をさばくのに5年以上かかるのだ。しびれを切らせて注文をキャンセル人もいるが、それはごく少数。ほとんどの人はいつ届くかわからない塚本さんのパンを待っている。

それでも無理してたくさんのパンを作ったり、自分の時間を削ったりしない。それよりも、旅先で出会った美味しい食材をパンにして、ひとりひとり順番に届けてゆく。それが、塚本さんの選んだ道だ。今年1月には、パン職人の男性と結婚した。

「いい値段がしても美味しいパンを食べたいよねっていう市場を作った志賀シェフは、本当の革命家だと思います。私もそのビッグウェーブに乗せてもらいました。これからは、女性のパン職人としての働き方や生き方を切り拓いていけたらなと思います」

旅するパン屋

窯の中で1時間。茶葉入りのパンは、プルプルとした見た目と感触が嘘のように、こんがりふっくらと焼きあがっていた。小麦と塩と水、茶葉とオリーブオイルで作られたパンのかけらを口に含むと驚くほどモチモチしていて、ふんわりとお茶の香りが広がった。

味噌やみりん、酒粕、ごぼうにラベンダー、アニス。これらはすべて塚本さんのパンに使われてきた素材だ。新たな出会いとともに、これまでにないレシピが生まれる。その掛け合わせに、限りはない。同じように、パン職人、塚本久美の歩む道にもゴールはない。旅は、まだ始まったばかりだ。

 

ライタープロフィール
川内イオ
1979年生まれ。大学卒業後の2002年、新卒で広告代理店に就職するも9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターとして活動開始。06年にバルセロナに移住し、主にスペインサッカーを取材。10年に帰国後、デジタルサッカー誌、ビジネス誌の編集部を経て現在フリーランスエディター&ライター&イベントコーディネーター。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンターとして活動している。稀人を取材することで仕事や生き方の多様性を世に伝えることをテーマとする。

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