就職したくない僕らは「せどり」を始めた、その後のストーリー。 バリューブックス 中村大樹×クラシコム 青木耕平対談 前編

書き手 編集スタッフ 馬居

写真 小林直博

就職したくない僕らは「せどり」を始めた、その後のストーリー。 バリューブックス 中村大樹×クラシコム 青木耕平対談 前編
バリューブックスは、年商22億円を稼ぎ出す古本買取販売サイトです。毎日約2万冊が買取希望で届き、約1万冊が全国へ出荷されています。

もともとは、代表の中村大樹さんが、古書店で仕入れた本を別の古書店で販売し、その差額を利益にする、いわゆる「せどり」を1人で始め、現在の規模にまで事業を成長させました。

実は、クラシコム代表・青木も、クラシコムを設立して事業を軌道に乗せる前、1年半もの期間、せどりで生計を立て、家族3人を養っていました。それは、中村さんがせどりを始めた、ちょうど同じ頃のことでした。

聞くところによると、二人がせどりを始めた理由は似たようなもの。「就職はしたくない。起業はしたいけど、何をしたらいいかわからない。そんな時に出会ったのが、せどりだった。」

せどりから10年。どのような道を辿り、それぞれの事業を拡大させていったのか。バリューブックスの本拠地がある長野県・上田市にて、元せどラー対談を実現するに至りました。

株式会社バリューブックス 代表取締役

中村大樹

1983年、長野県生まれ。高校時代はサッカー漬けの日々を送る。大学進学を機に上京。1年生の春休みを利用して訪れたニューヨークで、独立して働く日本人の若者たちに出会い、起業の夢が膨らむ。大学を卒業した2005年、古本のネット販売ビジネスを単身でスタート。その後、友人たちをメンバーに加えて事業を拡大、2007年に「バリューブックス」を設立。2010年に本で寄付るする新しい仕組み「チャリボン」を開始。

好きなもの:台湾茶

1冊の本が売れて、生きてていいんだって思った。

クラシコム・青木耕平(以下、青木)
いや、もう、中村さんは、僕の中ではせどりのヒーロー的存在なんですけど。僕がせどりをしていたあの先に、今のバリューブックスさんのような未来があるなんて、絶対に思えなかったです。

せどりは大学時代からやっていたんですか?

バリューブックス ・中村大樹(以下、中村)
いえ、大学を卒業した後です。就職活動もうまくできないし、当時住んでいた高円寺の周辺は、古着屋だったり、自分のペースでお店をやっているような人たちがたくさんいたので、自分もなんとかなるかなと思って就職せずにいたんです。で、卒業して、これが全然なんともならない。

お金も経験もないのが致命的で。資格もないし。色んなことをやろうとしては、できないな、を繰り返していて、本当にどうしようもない状況でした。「詰んだな……」と思っていました。そんな時に、何かしなければという思いで、家にあった教科書なんかをAmazonのマーケットプレイスで売ってみたところが始まりですね。

青木
せどりをやってみよう、と思われたんですか。

中村
いえ、小遣い稼ぎというか。それでどうにかなるわけじゃないことはわかってるけど、ちょっとでも何かやらないとなぁって。そうしたら、意外と翌日あたりに売れちゃったんです。

青木
そうなんですよねえ。売れちゃったんですよね、あの頃。

僕もちょうど同じ頃、2006年にクラシコムを立ち上げたんですけど、うまくいかなくて。でも子供もいましたし、どうにかしないといけなくて、ひとまず身の回りのものを売ろうと思ったんです。

僕は、本が好きだったので、身の回りにあるものといったら本で。ひとまず売れそうな本を全部売ったら7万円くらいになりました。でも、こんなの1週間でなくなっちゃう。でも、もしこのお金で本を仕入れて売ったら、次は15万円くらいにはなるんじゃない?なんてところから始めて。

とにかく本が好きだったので、一日中本棚を見ていても飽きなかったんですよね。それで、しばらく古本屋を巡っているうちに、本棚をぼーっと見てると売れそうな本が光って見えるようになってきて。

中村
わかります!そうなると楽しいですよね。

青木
そう、楽しいんですよ!あまりに楽しくて、しばらく1日も休まないで本を仕入れに行って、結局1年半はせどりだけで生計を立てていました。

中村
僕も一緒ですよ。朝の10時からいろんな古本屋を巡って、閉店時間までずっと。そして帰ってきて、出品して、朝起きて、梱包作業して、発送して、また本を仕入れに行く。

極端な話に聞こえるかもしれないけど、初めて本が売れた時、生きてていいんだって思ったんですよね。

周りは就職して、いい感じに給料をもらって、社会人になっていて。僕ときたら「就職しろよぉ」とか、心配とかされちゃって。それはやっぱりきつくて。自分は何にもできないんじゃないかと、とにかく辛かった。このまま引きこもりになっちゃうのかな……とか思っていた時でしたから。

最初はたかだか1500円とかの売り上げなんですけど、嬉しくて。もう、そこから取り憑かれちゃいました。

青木
僕も前の事業が、もう、箸にも棒にもひっかからない、自分が作ったものが必要とされないと実感する中で、1冊が売れていくことの確かさにすがるような気持ちで本を仕入れてましたね。

せどりで学んだビジネスのイロハ

青木
ビジネスの基本って、今思うと、せどりの中に全部詰まってたんです。

最初は現金で仕入れていたんですけど、それをクレジットカードに変えることによって、1ヶ月の仕入額がそのままその月の回転差金になって、キャッシュがドンと増えたぞとか。

僕はそれまで、財務を扱うようなシステムまわりが専門だったので、頭ではそういう経済の仕組みはわかってはいたんですが、「資金が増えたーっ」と実感を伴ってそれを学ぶことができた。そうすると、今度は、仕入れた本の配置を、自分なりにフリーロケーション管理してみたり、売れない本は廃棄したほうが得だということを考え始めたり。

今やっている通販業というか、ものを仕入れて売るということの肝が全てあったと思うんですよね。

中村
わかります。

青木
僕は、ビジネスって自転車に乗ることとすごく似ているなと思っていて。自転車っていくら乗り方を本で読んだり教えてもらったりしても乗れない。でも、一度、うまくいけば、一生乗れるわけじゃないですか。

たぶんビジネスもたとえ小さなスタートであっても、まず乗り方がわかることが大切だよなと。ものすごく勉強ができたり、サラリーマンとしては超優秀な人が独立してビジネスをした途端、ちょっとありえないような失敗をする。そんな自転車の乗り方じゃ、こけるのは当たり前だよ、という感じの。

僕にとってせどりは、子供用自転車だけど、きちんと乗れるもの。でも、どんなに小さくても、子供用自転車に乗れるようになれば、意外とスポーツバイクやマウンテンバイクってすぐ乗れますよね。そんな風に、ビジネスの基本はせどりで学んだ気がします。

実際、今の事業を始めたきっかけも、せどりでの学びを生かしたもので。

クラシコムでは、「北欧、暮らしの道具店」を始める前に、ほかの事業をしていたんですけど、失敗してしまって。たくさんの資金を用意していたんですけど、結局手元には100万円しか残らなかった。一緒に始めた妹に、お兄ちゃんのバカなアイデアにのっからせた上にダメになりそうということが申し訳なくて、じゃあ、妹が北欧を旅してみたいと口にしていたので、残った100万円で最後に北欧へ行ってみようということになったんです。

とはいえ、商売人なので、なにか「せどり」をしてこれるものがないかなって思っていたら、当時からすごく人気のあったビンテージの北欧の食器が安く買えることがわかって。日本での相場と、仕入れ金額をせどりの経験から考えたら「商売になる!」と。

そこから、ビンテージの北欧食器を売るサイトを立ち上げて、そのうちにそれでは商品が足りないので新しい北欧食器も売るようになり、オリジナル商品も作るようになり……今に至るという感じなんです。

せどりから買取へ。ゲームより楽しいもの見つけた!

青木
そんな風に僕は、せどりで1年半生計を立てたあと、別の事業を始めました。でも、中村さんはせどりを続けられて、ここまでの事業に拡大された。途中からは、お友達と5人でせどりをなさってたんですよね?僕は売り上げベースで年に800万円くらい、キャッシュフローベースで400万円強くらいだったんですが、中村さんたちは?

中村
法人化の前だったので、正確な金額の記録は手元に残っていないんですが、5、6000万円くらいだったと思います。

青木
せどりだけで、一人当たり1000万円くらいの売り上げを出してたなんて、せどりエリート集団ですね!きっと相当に仕組みを工夫されたんでしょうね。

中村
そうですね。あとは、まぁ、根性です。でも、法人化してからは買取りが中心になっていきました。

青木
買取サイトを作って、リスティング広告で集客するという感じですか?

中村
そうです。僕らが買取サイトを始めたのは2007年で。まだライバルも多くなかったので、リスティング広告の戦いもそんなには熾烈ではなくて、最初から調子よく獲得できたんです。

それで、段々とせどりはしなくなって、朝から晩までせどりに使っていた時間を、今度はひたすらヤフーとグーグルのリスティング広告の調整に費やして。

青木
そういうのが得意だったんですね。

中村
得意というか…、しつこい性格で(笑)。せどりもリスティング広告も、両方「ハマった」という感覚です。

熱中できるゲームの倍くらい楽しいというか。ゲームは電源を切ったら終わりですけど、こっちはゲームのように楽しんでたつもりが口座にお金も振り込まれる。大きな会社にするんだとか、社会のことを考えるとかいうよりは、ゲームに熱中してるくらいの感じで。まだ25歳くらいでしたしね。

「友達との起業はNG」のセオリーは無視。そのメリットは?

青木
どのタイミングで長野へ拠点を移したんですか?

中村
始めの頃は、東京で一軒家を借りて、その一階を本棚だらけにしていたんですけど、すぐにいっぱいになっちゃって。実家がある長野だったら安く倉庫を借りれるかもしれないと思ったのがきっかけです。

それで、会社化する少し前のタイミングで、長野に倉庫を一つ置くことになりました。長野にいた同級生に倉庫の管理してもらって、東京で仕入れた本を、キャラバンで何往復もして長野へ運んだりして。

青木
せどりを手伝ってくれたのも、長野で倉庫を管理してくれたのも、みんな同級生とかなんでしょうか。

中村
そうですね。高校の同級生ネットワークだけで探したって感じです。

青木
中村さんの、人を巻き込む力ってすごいというか、独特ですよね。言ってはなんですが、僕も中村さんも食っていくために始めた「せどり」で儲けようという話は、すごく大きな夢を掲げているというわけでもない。同級生とはいえ、次々と人が巻き込まれるってすごいことです。もともと得意だったんですか。

中村
いやあ、どうなんだろうなぁ。そもそもに、創業するからこの旗のもとに集まってくれ!っていうことでは全然なくて。

最初に手伝ってくれたのは、ルームシェアをしていた高校の同級生。彼はカメラマンを目指しながら、印刷工場で働いていました。話を聞いてみると、「印刷会社は粉塵が大変でね……」って、あまり明るい表情じゃなかったから、「じゃあ、手伝わない?」って。発送業務からお願いして、そのうち古本屋巡りも一緒に行くようになりました。

あとは、高校を出た後に就職したけど合わない子がいて、東京に出て来ていたから、「それなら一緒にやらない?」……みたいな感じで増えていきました。

青木
そのくらいのノリなんですね。

中村
僕らの高校は、優秀な人の集まりというよりは、スポーツだけはちょっと強くて、頭は、まあ、いろんな人がいる、という感じの田舎によくある私立高校で。起業に興味があるなんてことはない、本当に、普通の人たちで。でも、自分の中では、一番信頼できる人たちだったんですよね。

たとえば、このテーブルに僕が財布を置き忘れても気にしないというか。絶対こいつは悪いことはしないだろう、と思える。もし、こいつらに悪いことをされたら、よっぽど彼らの家族に何かあったんだろうとか、そう思えるくらいの人たちだったから。そういうセキュリティ関連を気にすることなく起業ができたのは、自分としてはよかったですけど。

「友達と会社やるなんてだめだよ」って、よく注意されましたけどね(笑)。

青木
確かにそう言われますよね(笑)。創業メンバーは今どうしてるのですか?

中村
全員そのまま働いています。

青木
すごい!10年経っても全員!

中村
しばらく知り合いのNPOに出向してたりということはありますけど、今は全員いますね。いいことなのかわかりませんけど。

青木
いやいや、すごいことです。
従業員数は、どのくらいですか。

中村
アルバイトやパートさんがだいたい400人、正社員は25人くらいです。

青木
こんな風に大きくなるかもしれない、と思い始めた瞬間ってあるのですか。

中村
ターニングポイントみたいなものはなく、段階を追って、ですね。

会社化して初年度の売り上げは8000万円だったから、もう少ししたら1億だなと。1億の次は、3億の壁ってよく聞くので、それを目指して。3億の次は、10億でと、ステップバイステップで進んできました。自分以外の社員もそうだと思います。

上場を目指すぞ!なんてことで集まったわけではないし、ゲームみたいなことを楽しんでいくうちに、ちょっと先に目標ができて、それをクリアする繰り返しでした。

社員のやりがいを探してたどり着いた社会貢献事業

青木
最初は1人で始められて、ひとりずつ仲間が増えていってというのは、マンガでいうなら『ONE PIECE』ですよね。それが、ついには400人規模の会社となっていく。

最初はきっと、「こうやったらめっちゃ売れたね!」みたいな盛り上がりで運営されてきた。でも、近年になってバリューブックスさんは、このブックカフェ「NABO」を運営したり、児童施設などに本を寄贈したりするような事業もされていて。

こういった収益を社会に還元していこうという動きや、責任感のようなものが芽生えたのは…つまり、ルフィたちが大人感を帯び始めたのは、どのくらいのフェーズだったんですか。

中村
従業員が増えて、一時期、理由もなく辞めていく人が出てきたあたりです。

会社化して3年あたり、2010年くらいまではひたすら楽しいばかりでした。

でも、だんだん、バイトさんやパートさんを雇うようになって、人が10人、20人と増えてきた頃から、理由もなく辞める人が出てきたんです。顔を曇らせて、「理由を聞かれても困るんだけど……」と辞めていく。

細かな理由は色々だったとは思うんですが、やりがいを感じないとか、成長できている感じがしないということが原因になっていると気が付いて。インターネットで物を売ってるから、お客さんの顔を見ることができない。頭では本がいっぱい売れている、ということがわかっても、自分が何をしているのかわからない、という感じで。

でも、それはある種、僕らの事業の属性がそうだということもあるので。倉庫業というのは、とても地道ですし、なかなかそれだけで超楽しいというのは難しくて。

青木
たしかに。

中村
それでも、会社の雰囲気は良くしたいし、どうしようと考えたんです。

仕事で直接的なやりがいっていうのは難しいけど、家族から褒められるシチュエーションがあればいいのかなぁと思って。

老人ホームとか、保育園とか、そういった公共施設って図書スペースみたいなものがたいていあるじゃないですか。そういうところの本棚を、僕らならもっと良い本にできる。いろんな理由であまり売れない本でも、良い本はたくさんあるので、そういう本を選んで、お届けすることはできる。

例えば、働いている子のおばあちゃんが行っている老人ホームの本棚を僕らが綺麗にして、おばあちゃんに孫が褒められるとか。パートさんたちが、保育園のママ友に「絵本を入れ替えてくれてありがとう」って言われるとか。そういうのは、やりがいになるのかな、って思ったのが最初です。

青木
いいですね。

中村
僕は、褒めるのとか得意なタイプじゃないから。「いつもありがとね!」とか言えなくて。そういうことも、社長の能力として大事じゃないですか。よく、「社長はもうちょっと褒めてください」とか、「モチベーションを高めてください」とか言われるけど、できないから……。代わりに、誰かにみんなをモチベートしてもらわないとっていう感じで。

社会に対してどうこうっていうよりは、そんな風に、従業員がそれぞれに大切な人たちに褒めてもらえるような会社にならないと、働いている人たちはハッピーになれない。働いているやりがいを感じられないんじゃないかなという気持ちです。毎日働くのって大変ですからね。やりがいがないと、できないですよね。

 

後編は、さらにお互いの事業やその展望について議論を深めました。
後編:シュリンクする市場だからこそ事業の完成度を追求できる。

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