バランスを崩したときこそ、夢を叶えるチャンスが立ち上がる。清澄白河、人気カフェの胸の内──PORTMANS CAFEマネージャー芦田幸代【前編】

書き手 小野民

写真 高木 あつ子

バランスを崩したときこそ、夢を叶えるチャンスが立ち上がる。清澄白河、人気カフェの胸の内──PORTMANS CAFEマネージャー芦田幸代【前編】
いまや東京おしゃれスポットのひとつ、清澄白河エリア。とくに「コーヒーのまち」としてカフェ巡りはブームといえるほどの様相を呈しています。

人気のカフェのひとつであるPORTMANS CAFEのオープンは2011年。「その頃はすごく静かな街だった」とマネージャーの芦田幸代さんは言います。

芦田さんは、カフェばかりでなくリラクゼーションサロンも切り盛りされている方。さらには2児の母と聞けば、どれだけエネルギッシュな方なのだろう、そのパワーの秘訣はなんだろうと興味が湧いてきます。

しかし、取材当日、目の前に現れて語ってくれたのは、驚くほど物腰の柔らかい女性。かつて、美容の仕事のなかで出会った「ホリスティック=全体性」という考え方に影響を受けているという芦田さん。カフェ、サロン、家庭、それぞれがいい影響を与えあって、いま自然体で仕事を全うするに至った道のりをお聞きしました。

PORTMANS CAFEマネージャー/tRimセラピスト

芦田幸代

1973年生まれ。13年間の化粧品会社勤務経験を経て、2011年、清澄白河に夫婦の長年の夢だったカフェ「PORTMANS CARE」をオープンし、マネージャーになる。一方で、リラクゼーションサロン「tRim」もオープン。2児の子育ての経験も活かし、心、肌、身体のトータルケアを行う。日本かっさ協会認定フェイスかっさセラピスト/温かっさセラピスト/リフレクソロジスト、MTTA認定バッチフラワープラクティショナー。

好きなもの:表情が常に変わりゆく空、月、水面。身体と心を満たしてくれる家族との時間&睡眠。

化粧品の開発とカフェ仕事、共通項は「お客様のために何かをつくりだすこと」

──前職は飲食関係かなと勝手に想像していたら、化粧品会社というのは意外です。

芦田
それが……内装やインテリアを勉強する短大を卒業後、たまたま受かったのが化粧品会社で(笑)。最初は店頭に立つ美容部員としてお客様と接していて、その後開発の仕事に移って、合計で13年くらい美容の仕事をしていました。

──学んでいたことと畑違いな会社に飛び込んだはずなのに、わりと長い期間働き続けられた理由はなんだと思いますか。

芦田
化粧品づくりは、奥深くて終わりがないので、のめり込んでいるうちに10年くらいあっという間に経っちゃったというのが正直なところです。

特に、私が商品開発を担当していたブランドは、表面だけではなく内面も含めたホリスティック(全体)で捉えた美容を提唱している部分にすごく共感していたんです。

美容部員時代はそのブランドを担当していたわけではないのですが、ホリスティックという考え方にすごく魅かれていたので、社内公募をきっかけに開発部署に異動しました。

──なるほど。ホリスティックな美容というのは、芦田さんがいまやっているセラピーともつながっていますね。ただ、なぜ化粧品会社を辞めた後、美容関係のお仕事ではなく、ご夫婦でカフェを開かれたのでしょう。

芦田
カフェを2人でやりたいというのは、完全にカフェが好きだから。夫は両親が昔レストランをやっていたのもあって、「コーヒーを飲みながらゆっくりする」という光景を小さい頃からずっと見てきているんです。だから、2人で出かけるとカフェで過ごす時間が多かったですね。ゆっくりしたり、将来の話をしたり、「いろんなものが生まれる場所だ」という意味で、私もカフェという場が好きだったんです。

──場の力ってありますよね。 雰囲気がいいとそこにひっぱられて、いい話ができた経験が何度もあります。

芦田
アイデアが生まれたりもしますよね。ものを書く方は、インスピレーションなんかが湧くかもしれませんね。

──はい、私のなかで、いい原稿が書ける気がするカフェが地元にあります(笑)。

芦田
ふふふ、そうですよね。そういうカフェの魅力を実感していたので、カフェをやりたかったのですが、夫婦ともそれぞれ忙しくてなかなか実現できませんでした。

バランスが崩れたときこそ、新しい道へ進むチャンス

──結婚してそのままお仕事を続けてきたと思うのですが、夫婦の夢であるカフェオープンに向けて動き出したきっかけは、どんなことだったのですか。

芦田
結婚してから1年後に長女が生まれて、ちょうどその頃から私の仕事も多忙になっていました。すると、だんだんワークバランスが崩れて、夢がはるか遠くに行ってしまった感じがしていました。

深夜残業が数年続いて、公私と心身のバランスが崩れてしまったんですね。次のステップを考えなければまずいとずっと考え続けていたら、カフェをつくる夢があったことをだんだん思い出してきたんです。

そこで、カフェをする夢に向かって気持ちをスライドしてみて、「長年の夢を叶える方に力をつかおう」と。2009年に会社は一旦やめて、準備期間に入ることにしました。

──小さなお子さんを抱えて数年踏ん張ったというのが、並大抵じゃない気がします。

芦田
夫が独立していてある程度融通がきく立場だったので、ほぼ送り迎えはお願いして、子育ての役割分担としては半分以上頼っていましたね。

──カフェ開店までのブランクは、何を具体的にしてらっしゃったんですか。

芦田
カフェをやろうとしていたのに、あまり飲食の経験がなかったと思い出しまして(笑)。1年弱ですが、日本料理のレセプションアルバイトで予約の取り方からお客さまのお迎え、毎日の売上集計などを学びました。

そうこうしているうちに、以前勤めていた会社関連の方にお声掛けいただき、海外向けのブランドを立ち上げる手伝いをしつつ、実際にカフェをやる物件を探しつつ、物件が見つかってからは準備をして、それで2年くらいが経過していました。

設計図はなし。DIYで空間を埋めていく。

──ここがバイクの修理工場や車のショールームだったので、全面ガラス張りで、印象的な物件だったんです。

たまたまこのあたりで物件を探して歩いているときに、以前ここが売りに出されていたことと思い出して、建物のオーナーさんに声を掛けたら、「今は売りに出していないけれど、いいよ」と交渉に応じてくれたんです。

その頃はまだ清澄白河も静かで、東京都美術館やギャラリーコンプレックスがあって、なんとなくアートな雰囲気がお気に入りでした。

この物件自体は、自分たちでDIYでつくり上げていくにはちょっと大きすぎるんじゃないかと不安でしたが、チャンスには乗らなくちゃ、と。

──はじめからDIYありきで、カフェづくりを考えていたのですか。

芦田
そうなんです。夫はグラフィックデザイナーだから、その頃はまだ平面のデザインに留まっていたんですけど、ここを拠点に、もうちょっと店舗とか立体的なものにデザインの幅を広げていけたらと考えていました。ここをショールームとして機能させたかったんです。

ただ夫も大工仕事をやったことはなくて、見よう見まねで始めました。私はまだその頃化粧品の開発の仕事を手伝っていて、ほとんど現場にはいなかったのですが、彼はほぼ毎日、半年間コツコツとやってましたね。

天井を抜いてスケルトンにしてもらうなどの、躯体に関わる部分は業者さんにやってもらいましたが、そのスケルトンからつくりあげていくのは、オーナーがほぼ1人で。

自分がタバコを吸いながらコーヒーを飲めるスペースを、最初につくっていましたね。

──わぁ、いいですね。座って一服して、またDIYして……って想像するとなんだかぐっときます。

芦田
でも、スケルトンになってだだっ広い状態を見て、どうこの空間を埋めていこうかと考えて、心底呆然としましたよ。

──設計図とかが……。

芦田
あるわけではなく(笑)。

天井を抜いたらトイレの上の部分があいてしまったけれど、どう塞げばいいのだろうとか、壁をひとつ立ち上げるのにも、どうやったら垂直になるか調べたり、床1枚張るにも、床の下ってどうなっているの?というレベルだったので、一つひとつ調べて進んでいきました。いまよりDIYの参考になるようなものが少なくて、とても苦労していましたね。

デザイナーでありオーナーの夫が作ったカフェのキャラクター「ポートマンくん」。

──芦田さん自身も、カフェをやりたいくらいだから、やはり料理はお好きで……。

芦田
……はなく(笑)。接客と何かを企画するのは好きでしたが、料理は自信がなかったです。カフェをオープンすることに決まってからは、レストラン経営経験のある夫の両親やスタッフに助けてもらいながら、メニューの開発をがんばりました。

当初は、ハッシュドビーフとカレー、あとスコーンとチーズケーキ、ガトーショコラがあって、ランチは日替わりでやっていこうとつどつど考えていました。

──オープン時にはすでにスタッフはいたんですね。

芦田
スタートしたときは、私含めて3人かな。デザインスタッフとして夫の会社に入ってくれた女性に最初は手伝ってもらっていて、プラスもう1人入ってきてくれていました。

群雄割拠の人気エリアで、競合しないで生き残る

──2011年4月に「PORTMANS CAFE」がオープンしました。客足はいかがでした?

芦田
その頃はあまりこのあたりに住んでいる人がいなかったので、苦戦しました。

近くに会社は多いのでランチはそこそこ出ました。でも、お茶をしに来る人はいなかったんですよ。ランチが終わるとがらーんという感じで。それでも、ぽつぽつと喫茶店に来る感覚でいらっしゃるおじさまとか、近所のご年配の方は来てくださるようになりました。

そんな感じだったので、本当に最初はかなり不安なスタートでした。がらんがらんだったところから、お茶のお客さまが増えたのは、東京カフェマニアの川口葉子さんが、All aboutさんのサイトに寄稿してくださったのが大きいと思います。

──「この人が言うなら」という口コミってやはり強いんですね。

芦田
あのときの反響はすごく大きかったですね。カフェマニアさんは、ウェブサイト上でスタッフ募集の求人をしてくださるので問い合わせてみたら、川口さんが「取材しに行きたいです」と言ってくださり、その記事が7月に掲載されてちょっとずつお客さんが増えていきました。

その後、2013年にARiSEさん、2015年にブルーボトルコーヒーさんなどがオープンされて、コーヒーのまちになり始めました。そこから人気店と一緒に紹介してもらえるようになって、うちのカフェにとっては反響第2弾って感じですね。

──清澄白河ってそこまで有名な場所ではなかったのが、ここ数年であれよあれよとおしゃれなまちのイメージになった気がします。

芦田
そうですよね。以前は、「清澄白河ってどこ?」と言われて、スカイツリーのちょっと手前という説明の仕方をしていたんですが、今は「どこ?」って聞かれることもなくなりました。

──清澄白河にカフェが増えていくのは、「ライバルがたくさん」という感じなのか「清澄白河として注目されてラッキーだわ」なのかどういう気持ちなのでしょうか。ここまで、ひとつのエリアが急激に人気になるってめずらしい気がします。

芦田
後者の方ですね。ブームに「乗らせていただきました」って思っています。ライバル店ができるというよりは、仲間が増えていって、このまち自体がおもしろくなっていくのはすごくいいことだと感じています。

盛り上がり始めた当初は、周りの店主さんたちも、「流行りで終わったら怖いね」とずっと危惧していたんですけど。流行りでわっと来て、わっと去って行かれるんじゃなく、この流行を当たり前のように定着化させていきたい。みんなの想いがかたちになって、今そうなりつつあるのかなと思うんです。

清澄白河にお店に構えられる店主さんって、すごく個性的というか、信念を持って来られている方が多いんです。だから、すごく刺激をもらっていますね。

いい意味でライバルではありますけど。刺激をもらって、みんなで高め合っている。清澄白河界隈で活躍しているプロフェッショナルな仲間たちとはたまに集まって、ごはん会などで情報交換したり、良い刺激をもらったりしています。

皆さん、本当に素敵な人ばかりで、親戚の集まりのようにほっとするんです。いい仲間に恵まれているこのエリアでカフェをやっていて、よかったとつくづく感じています。

後編では、芦田さんのカフェマネージャーとは別の顔、セラピストのお仕事のこと、限られた条件のなかで健やかに働く場をマネージメントする方法についてうかがいます。
後編:カフェとセラピーはどちらも人を癒すもの。「カフェリラクゼーション」の可能性。

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