受動機会にさよならを。特性を引き受ける生き方が、あなたを大人へ変える──グランドレベル代表 田中元子さん【後編】

書き手 長谷川 賢人
写真 千葉 顕弥
受動機会にさよならを。特性を引き受ける生き方が、あなたを大人へ変える──グランドレベル代表 田中元子さん【後編】
東京・墨田区千歳のランドリーカフェ「喫茶ランドリー」などを手がける、グランドレベル代表取締役社長の田中元子さんへのインタービュー後編です。

インタビューのテーマは「唯一無二の肩書き」。前編では、建築コミュニケーターを肩書きとする田中さんに建築との出会いを聞きながら、いかに自分らしく生きるかを深掘りました。後編では、その考えがより具体的になったという、喫茶ランドリーの開業と、そこから得たものにフォーカスしていきます。

喫茶ランドリーで人々が「暴発」するのが面白い

── 喫茶ランドリーのオープンは2018年に入ってからなんですね。

田中
昨年の12月くらいからちょろちょろと扉を開けてたんですけど、グランドオープンは1月5日で、そこから正式営業。だからまだ4か月くらいな感じ。今いる4名のスタッフも、みんなこのあたりに住んでいる人です。

── 今日、ちょっと早く着いたのでアイスコーヒーを頼んでぼーっとしてたんですけど、みなさんの声と対応が優しくて、ホッとしました。

田中
みんな押しかけ女房みたいに「ここで働きたいっ!」って言ってきて。募集もかけていないのに(笑)。

── この地域に開業したのは地縁などがあったんですか?

田中
ないです、ないです。今はこの近くで暮らしてますけれど、この物件のことも知らなかったんですよ。飲食店やランドリーカフェが元からやりたかったわけでもない。この場所の事業相談を受けて、「ランドリーカフェが良かろう」と提案したところ、事業者を探すよりも「提案した本人がやってみたらどう?」って、流れでやることになっちゃって。

── そうなんですか!

田中
内装も家具職人やプロが手がけたところがほとんどで、洗濯機の向こうにある灰色の壁……ちょっとむらむらになっているところだけ、私を含めた友達何人かで塗ったんですけど……今度はもうやらないかな。

── なぜですか?

田中
店をつくる過程でワークショップをやったり、DIYでコミュニティを作っていくというのは、オープンしたときにはすでに知り合いや応援者ができているってことですよね。オープンする側としては安心なんですけど、それだと来る人のヒエラルキーがすでについてしまっているというか……「私はもっと早くからここを知っていた」とか思うだけで、空間に対しての距離感が異なっちゃうから、なんか不公平だなって。だから、もうやらない。

── 全員に開かれるためには、なるべく関係者を絞っておいた方が良いと。

田中:そうそう。そんなふうに、喫茶ランドリーをやらなきゃわからなかったことがたくさんあるので、すごい勉強になってます。

「どんな人がお客さんに多いですか?」とか「ターゲットはどんな人を想定していましたか?」とかも聞かれるんですけど、一切ないんです。本当にいろんな人が来るし。ただ、こういう空間を共有できる人や許せる人が来るだけであって、「サラリーマンだから」とか「主婦だから」っていうのは関係ないと思います。

ペルソナを作って、ターゲットを仮定するって、すごく具体的に操作しているように見えて、実態は逆行ですよね……喫茶ランドリーはそういうやり方ではないですし、そういう考え方そのものも、これから変わる気がするんだけどなぁ。ここまで人々が多様になった以上、グルーピングの意味がもっとなくなるような気がして。

── 先ほどから来店される方も、70歳代の男性から、子連れの主婦、20代の男女まで、ほんとうに幅広いですね。

田中
最近はそういう人たちが、ここで暴発するのを見ているのが楽しいって思うようになっちゃって。

── 暴発、ですか。

田中
みんなは「クリエイターという人間」と「そうでない人間」がいると思っているのかもしれません。でも、あくまでプロのクリエイターは一部であり、それは職業としてクリエイティブを安定供給することのプロフェッショナルなわけです。

じゃあ、プロのクリエイターでない人間はクリエイティブでないのかといったら、そんなことはないですよね。素人はちょっと背中を押したり、ちょっと補助線引いてあげたりするだけで、その人のクリエイティビティが暴発する。それはプロにはできない不規則な爆発です。だから私は、みんながクリエイティビティを発動する仕掛けを、いかにうまく作れるかが大事だと思っていて。

ここで起きていることって、本当にささやかなことばっかりなんですよ。でも、ささやかなことですら、なかなか叶えさせてくれない世の中だったりするじゃないですか。家の中ではうるさくしちゃだめ、とか。

── 自宅なのに好きに振る舞えないというのは、たしかにありますね。

田中
昨日もハンドクラフトをやっているお母さんたちが、「鞄の底に鋲を打ちたいので、トンカチでガンガンやりたいけどいいですか?」って聞いてきたんです。「いいも何も、どうぞ」って話したんですけど、「あぁ、そんな小さなことですら、自宅がマンションだとできなくなっているし、ましてやどのお店でも頼めないのか」と。

なので、喫茶ランドリーではなるべく小さなことを叶えてあげたいですね。「人と比較して、もっとうまくやる」ということよりも、「とにかく今日の私が楽しかった」ってことが絶対的なわけで、その機会を作りたいんです。

私たちはものに飽きているのではなく、受動機会に飽きている

── 人がアクションするきっかけをつくり、暴発させることが大切なんですね。

田中
これからのデザイナーにとっては、「自分の才能やセンス」を見せて、自分がいいと思えるデザインをするというのでは段々なくなっていって、「人に何かを起こさせる」のが“良いデザイン”になっていくんじゃないかと。それは他の仕事も全て同じで、私はそのことを「うつわ」って呼んでいます。

私も質の良いうつわでありたいですね。質の良いうつわだと、何を入れてみようかな、どんな料理で使ってみようかなってどんどん想像して、創造性もどんどん誘発されていくじゃないですか。そして、うつわにも「入れられる」という余裕や余白がある。行政も企業も個人も、質の良いうつわになるといいなって思ってます。

みんなが「コンテンツ」を自分のうつわに詰め込もうとするんですけど、私たちはもうそういうのに飽きていると感じていて。ぎゅうぎゅう詰めになったものをいただくという「受動的な生活」に飽きている。それって、商品に飽きてるとか、買いたいものがないとかとは、また違うと思うんですよね。

── 田中さんが著書で「私たちはものに飽きているんじゃなくて、受動機会に飽きている」ってお書きになっていたのを思い出しました。

田中
ものの世界でなくても、受動機会ばっかりじゃないですか?

パリでは歩道の脇にある土を市民に開放していて、それぞれがピーマンを植えちゃったり、好きなことやってる地区があるんです。必要であればアドバイザーも提供してもらえて、市民が能動的に、自分の農園を作っちゃうのを行政としても応援してくれているんですね。

日本でも同様の取り組みがないかと調べてみたら、東京のある区で公園の土地を市民と一緒に「市民参加」で管理するという話があって、参加した人に話を聞いたんです。そしたら、現地にはすでに穴が開けられていて、みんなはパンジーを渡され、「じゃあこの穴に入れてください」。これを市民参加と呼ぶのは、パリと日本ではすごい差があるなと。

受動的ではなく、もっと能動的に人を動かすには何をしたら良いだろうと、みんなが考えればいいのになと常々思っていますね。

── その契機のひとつが、田中さんたちがグランドレベルで手がけられている「1階づくりはまちづくり」という空間設計なんでしょうか。

田中
そうそう、まさにそうです!喫茶ランドリーのまわりも、元は倉庫や工場が多い物流拠点のような街で、人の気配も多くなかったんです。10年ほど前から規制緩和で住居が建つようになって、多くがマンションに建て替わりました。昔と比べれば相当な人口密度のはずなのに、全く人の気配が変わらないんです。

マンションって、1階をガレージかエントランスホールにしちゃうので、通行してしまうだけだと人の姿が見えない。私が今、喫茶ランドリーの窓際に座っているから、誰かが通りがかったときに手を振れるわけで。

人がちょっと一時、街の見えるところに留まれることで、街に住む人の顔が見えたり、意外と多様な人がいると知れたりする。そこから街の一端が見えてくるんです。一市民としてもその必要性を実感していましたし、グランドレベルでそういうことを実現したかった。

── 「ランドリーカフェ」だから、喫茶ランドリーに人が集っているわけではないと。

田中
「では、1階にオープンカフェが入ればいいんですか?」なんてよく聞かれるんですが、業態や施設の問題じゃないんですよね。ただの事務所だとしても、街に開かれていて、人々とコミュニケーションをとろうという「態度」が具体的にデザインとして表れているってことが大切なんですよね。

特に日本では業態は関係ないんじゃないでしょうか。日本は昔から半屋外みたいなところで商売をやっていたわけですから。

── それも「肩書き」や「業態」にとらわれて「何をやったらいいのか」に、日本人が終始し続けているせいなんですかね。

田中:そうそう!無理につくるのでなくていい。大切なのは「あなたがどんな人か」ってだけです。

自分と社会の交差点を見つけること、それが「あなたの住まい」

── 「相対的なわたし」ではなく「絶対的なわたし」を生きるほうが幸せ、というお話にもつながってきますね。「能動的であり絶対的というわたし」をいかに補助するか。

田中
「自分を通せばいいのか、社会に合わせればいいのかわからない」という若者がいたりしますけど、「いや、どっちもしましょうよ」って思います。あなたの価値観で見つけた、その2つの交差点があなたの住まいです。

「他人や社会」と「自己」が重ならないと思っているんですよね。そんなわけないじゃないですか? だって社会に自分はインクルードされているわけだから。社会との交差点をうまく見つけたいなって思ってますし、喫茶ランドリーがその点になれたらとも願っています。

みんなにとっての能動性が発揮される場として、ここには私なりに施したデザインがあります。それは、真っ白な画用紙の上のうっすらとした補助線みたいに。そのためには私自身がどういう人間なのか、というのも一要素です。いろんなとこに補助線をうまく引ける人でいたいですね。

── さきほどの「うつわ」の話も、補助線としての役割ですね。何もない状態だと、何をしていいのかわからなくなってしまいます。

田中
本当にただの空間で何をやってもいいぞーって、そんな無法地帯みたいなものを作りたいんじゃないんですよ。

── フリースペースではないんですよね。

田中
そうです!ルールは特に設定していないですけれど、みなさん秩序を持って使ってくださっていて、ありがたいです。

喫茶ランドリーはイベントをよくやっていますが、イベントブースだとは思われたくないんですよね。このエリアの人にとって、喫茶ランドリーに来たらやりたいことがやれるという、モチベーションが上がる場であればいいわけで。地域の人がやりたいことを、私たちが応援して叶っただけですから。それは結構、誇りに思っています。

公共空間の話は、建築界隈でも最近流行ってるんですよ。郵便ポストを立ち飲みテーブルに使うとか、そういうのを「都市をハックする」とみなさん言うんですね。自分でハッキングするのも楽しいけれど、私は「人にハッキングされる都市」を作りたいんです。

「都市をハックしろ」と言われても、そもそもハッキングしたい都市や公共空間なんですかって、呼ばれた講演で言うこともあります。みんな講演を聞きに来たのに、いきなり怒られるところから始まったりして(笑)。

特性を引き受ける生き方が、あなたを大人に変える

── 先ほどの「受動機会」と「能動機会」という言葉を借りて、今の「ハックする」動作を考えると、「たまたまの行動」は受動のように見えて能動に近く、なおかつその補助線が用意されていることで、より能動は促されるわけですね。

田中
「偶然」が受動的だとは思っていないですし、その状況に対してどう対応するかは完全に能動ですよね。そういう意味では、私は流れに沿った生き方してますよ。流されながら生きてきた感じだけど、決して受動的だとは思ってない。

── その都度、自分では能動的にあり続けてきたと。

田中
そうだと思う!

── 20世紀型の大人たちが作ってきた相対的な価値観や生産方式からいかに逃れるかも大事である反面、ハマれなかった人が生きやすくもなってきた。でも、むしろそちらの方が、もともと人間らしかったとも思えます。

田中
歴史を振り返ると、そういう時代の方が長かったと思うんです。戦争に負けて、いろいろと仕込まれていくことで、日本の生き方やあり方って変に矯正されていると私は思っていて。でもその歴史って案外短いから、またすぐ変わるんじゃないんですかね。

── このクラシコムジャーナルで、クラシコム代表の青木さんが「嫌いなことを克服しないことの大切さ」を説いていたんです。嫌いを克服する過程で人からセンスが抜け落ちると彼は言っていて。田中さんのお話からは「特性」というのも、その一つなんだと感じます。

田中
なるほどね。自分の特性を知るって、そういう面もあると思います。

たまたま私はADHD(注意欠陥・多動性障害)で、片付けが全然できないんですよ。散らかっているのは自分さえ我慢すれば許せるけれど、人から借りたものが紛れると返せなくなってしまうので、これは迷惑がかかると心療内科に受診したんです。

当時は「大人はADHDにならない」と言われていた時代だったけれど、ちゃんと診断してもらえて、薬を飲むようになって少しまろやかになったんです。でも、ADHDであるとわかったのは、私にとってすごく良いガイドだった。片付けられないというのは特性であって、それよりも得意なことや好きなことをして登っていく方が処世術になるんだなぁって思ったし。あとはやっぱり、最低限でも自己肯定できていないと、生きていて楽しくないんで。

── まさに特性を引き受ける生き方ですね。

田中
ADHDに限ったことじゃないと思います。特性はみんなにあるから。

── 「大人なんだからできるでしょ」って言われると腹立ちますよね(笑)。

田中
そうなんです。プロの大人なんていませんからね。むしろ自分が大人になってびっくりしましたよ。「こんなに素人ばっかりか!」って(笑)。

── 特性的に変わらないなら、プロ子どもはいないし、プロ大人もいない。それが人間らしいと思うのですが、いつからこんな大人の枷を着せられて生きているんだろうと。

田中
結局は「もう大人でしょ?」って言うのも管理のひとつなんですよね。あなたをあなたらしくなくさせて扱いやすくするという、管理下におきたい人の言葉だって私は感じているんですけど。

私には「運転免許を持つ」とか「子どもを持つ」とかいった大人の象徴である憧れが、いくつかあるんです。でも、今では「いろんな人がいる世の中に生きている」とか、「多様性を認められること」が、いちばん大人っぽいなって思いました。

── 多様性を認められる瞬間、大人にクラスチェンジする。

田中
それこそが保護されている身から、社会に生きていく身になるということなんですよね。

──その点では、喫茶ランドリーは「大人の場」という感じがします。

田中
そうです。ここに来ている子どもたちも、そんな感じ。だからここが「子どもの場」ではないこともわかっている。でも、自分が存在していることを許してもらえているっていうのもわかっている。おたがいが、良い感じですよね。

 

前編「相対的に生きるから不幸になる。やりたいことがなくても「幸せですけど?」と言えるように