相対的に生きるから不幸になる。やりたいことがなくても「幸せですけど?」と言えるように──グランドレベル代表 田中元子さん【前編】

書き手 長谷川 賢人
写真 千葉 顕弥
相対的に生きるから不幸になる。やりたいことがなくても「幸せですけど?」と言えるように──グランドレベル代表 田中元子さん【前編】
それって一体どんな仕事?と聞きたくなるような、ユニークな肩書きの方にお話をうかがう、不定期連載「唯一無二の肩書き」。今回、ご登場いただくのは「建築コミュニケーター」の田中元子さんです。

体を動かしながら楽しく建築を学ぶ「けんちく体操」を考案、教育機関などへ無料配布する建築タブロイドマガジン『awesome!』を創刊するなど、さまざまな形で建築を広める活動をされています。

近年では、株式会社グランドレベルを立ち上げ、「1階づくりはまちづくり」という考えのもと、その地域に住まう人々が、まちの小さな主役になれるような空間づくりを手がけています。その一つ、東京・墨田区千歳のランドリーカフェ「喫茶ランドリー」の取り組みが話題となり、一躍注目を浴びるようにもなりました。



そんな田中元子さんの肩書きは「建築コミュニケーター」という聞き慣れないもの。いかにして彼女は建築と出会い、そして何を思って仕事をするのか。

そして、田中元子さんなりの「働き方」が、いかに形作られていったのか。それらへの興味がつきないインタビューとなりました。

「なりたい職業名」がずっとない

── なんで医学部に受かったけど家出しちゃったんですか?

田中
医学部を受験したのは、実家が病院で、父がすごく真面目なお医者さんだったからです。でも、18歳そこらでは父のようになる覚悟は自分にできず……世の中にどんな職業があって、どんな生き方があるのかも全然知らなかったので、なんか、ピンとこなくて。

家を出たのは、親の干渉下にあったら医者になることから一生抜けられないと思って、そこから離れたかったんですね。うちの父は本当にまじめだったし、医療という仕事を自分から積極的に選ぶ気持ちがないと、私には続けていけないだろうと思ったんです。

私は生まれてこの方、「なりたい職業名」がなくて。弁護士になりたい、医者になりたいとか、そういうのがホントにないんですよ。職業名はともかく、「楽しかったらいいな、幸せだったらいいな」と夢を描いているだけで、かといって他にやりたいこともなく……。

── それは今もですか?「なりたい職業名」がないって。

田中
今もないですね。大人になってから建築が好きになって、「この好きな気持ちをどうしたらいい?」と言っている時にライターの仕事が来たりしただけなので。たとえば、「建築に対して何か貢献したいんだけど、私に出来ることはないかしら?」みたいな言い方をしているだけ。だから今でも、あまり職業名を定めていないんです。

── 「建築コミュニケーター」や「ライター」という肩書きはあるけれど、ご自身としてはしっくりきていないんですね。

田中
そうなんですよー……。

── 周りから求められるから掲げている?

田中
そう!そうです。「コミュニケーター」って科学界でいう米村でんじろう先生みたいな方で、専門分野を子どもや一般の人に知らせて門戸を開くような、そういうことをしてる人を指すんです。それはいいなって思って、なんとなく名乗っただけで。

あまり一般的な名称じゃないのもあって、これを名乗ったところで具体的なイメージを持たれないだろうとは考えました。それで一応は肩書きを付けたんですけど、今はグランドレベルという会社もあるし、喫茶ランドリーもあるから、「こういうことをやっている人です」って言葉じゃなくて空間で見せていけるようになったのは、楽しいですね。

「ライター」と名乗ると「書きたいことは?」と聞かれる問題

── 「私がやりたかったこと」を事業や場所で見せられるようになったと。

田中
そうです。やっぱりなんでも言語化できるわけじゃないから、言葉にするのが難しいものを別の方法で作っている感じ。グランドレベルで「1階づくりはまちづくり」と掲げて、まちで目に飛び込む、地面に広がるすべての光景をすてきにしましょうと推し進めているなかで、「言っていることはわかるけど、具体的にはなんなの?」って聞かれたときにも喫茶ランドリーがあれば「ここを見て」で済む。

── あるいは僕たちが、世の中や物事を言語化しすぎなんですかね。

田中
職業名にしたって、たとえば「建築家」といっても得意な建築や作風、思想は人によって全然違うんですよね。でも、ほとんどの人にとっては、「建築家=図面を書ける人でしょ」っていう認識だと思いますし。

── 18歳の田中さんが抱いた「肩書きや職業としてハマるものがない」というモヤモヤもつながっていて、同じように感じている人も多そうです。

田中
そう思いますね。今は21世紀で、いろんな技術が出てきたり、働き方が変わったりして、いろんなことの変わり目に来ている。でも言葉って、過去に生まれたものしかないじゃないですか。だから「しっくりこない」という人が多くなっているのかもしれません。

手垢のついている言葉に自分を無理矢理あてはめても、誤解を受けるだけなので……でも、それも人生をデザインする要素のひとつですから、繊細に考えたいところです。

特にフリーランスで、たとえば「ライター」と名乗ると、自分でなくてもできるような仕事とかもたくさんくるんですよ。最初は駆け出しだし、来たものは受けようって仕事していたけれど、段々と「これを断らないと、自分が何をする人間かわかってもらえなくなる」と。

── いざ「ライター」と名乗り出すと「書きたいことは?得意なジャンルは?」とか言われるんですけど「特にない」という人もいるよ、と。いや、僕がそうなんですが……。

田中
結構ありますよね。「デザイナー」だと自己表現やアートの話をされがちだったり。手垢がついて、言葉の繊細な部分がそぎ落とされて、変な形に記号化されちゃっているから。でも、みんなに自分をわかってもらうためには、わかりやすい記号を自分でつけなきゃいけない。あらためて肩書きの話って、すごく複雑だなって思いました。

でも、たぶんこれから変わるはずです。今はタイミングが悪いんだと思う。20世紀までだったら、ライターや建築家のように名乗って仕事ができるなら誰でも良いという価値観だったんでしょう。

21世紀になって、「どんなライターなの?」「どんな建築家なの?」って自分にも問うし、人にも問われていくと思っているので、そうなったときに肩書きは生まれ変わらなきゃならない。今はそのサナギみたいな、ぶよぶよしたちょっと扱いにくい状態にあると思います。

── まさに端境期というか、「あなたは何をする人ぞ」というのに向き合う時期でもある。

田中
そう思います。20世紀までは「とにかく表出する、とにかく生産する」ことが重要視されたけれど、21世紀は「何を、どのように、何のために生産する」という問いになっていくと私は考えています。テクニカルな問題が世の中で解決して、人が暇になっていくはずなので、そういう質や動機を問うたりしていく余裕が出てくるんじゃないかと。

ワクワクして仕入れた情報こそ、血となり肉となる

── そして、田中さんは建築を仕事にしていくようになったわけですが、最初は一冊の本がきっかけだったんですか。

田中
家出して、パチンコとか雀荘とか、時給の良い仕事を選んでしていたんです。特に好きなことや興味もなかったんですけど、なんとなく本屋で立ち読みしてから家に帰るっていう毎日だったんですね。かっこいいデザインとか、食器とか、家具とかを見るの好きで、それらの雑誌を見ては「カッケー!」みたいに思ってたんです。

そういうジャンルの近くに建築の本って置かれがちなんですけど、ある日、デザインの本だと思ったら建築の本を手にとっちゃって、その時にガーン!って雷が落ちた。カンポ・バエザというスペイン人建築家の本でショックを受けて建築好きになったけれど、普段の仕事はパチンコ屋。だからバイトでも建築に少しでも関われるように『FromA』(求人情報誌)で探していくようになりました。

あと、その頃……2000年以前のインターネットって、おそらく日本の全人口の10%にも満たないくらいな規模だったんですけど……。

── まだADSLの前ですよね。

田中
ADSLなんて、今でも「新しい!」みたいに思いますよ(笑)。私たちはテレホタイムで夜11時にハローワールドって感じ。で、その頃からパソコンは持っていたから、建築の話ができる友達をインターネットで募集したりして。好きなミュージシャンができたときに「いいよねー、かっこいいよねー」って言い合いたい友達をつくる感覚ですよね。

── そもそもデザインや食器が好きだったのは、ご両親の影響とか?

田中
全然!うちの家族はそのあたり疎いです。思い返すと、雑誌の『オレンジページ』を母親が読んでいて、そこでモノを紹介するコラムが本当に好きで。たとえば、DURALEXのグラスで「何枚も重ねられる」とか「このデザインだから丈夫」みたいのが書かれているのを読んで、器としての興味ではなく、プロダクトへの興味が沸きました。

── グラスとしての美しさではなく、DURALEXというモノへの興味なんですね。

田中
そうそう。たまたま親の雑誌をめくっていて出合うみたいなことで。

── 今だとネットで何でも情報にアクセスできて良いよねって話とは真逆で、情報が絞られてるがゆえに、出合うとすごく深まっちゃうみたいな。

田中
そうなんですよ!本当に偶然だし、うちにたくさんのデザイン本があったわけでもなく、たまたま『オレンジページ』がどさっと置いてあっただけ。音楽でも何でもそうですけど、今みたいにたくさんの情報がないときだったんで……思いも深いんですよね。ワクワクしちゃう。

そうやってワクワクしている時に仕入れたことって、体の中にある「情報の棚」よりも、自分のもっと心に近いところに入れていくみたいな感覚があるじゃないですか。興奮するとか、楽しい、とか。感情を伴いながら吸収するから覚えも早いし、まさに血となり肉となり、って。

やりたいことも夢がなくても、「幸せですけど何か?」と言えるように

── 田中さんは「好きになる力が強いね」って言われませんか。

田中
好きになっちゃいます。いわゆるオタク的に情報を収集するんじゃなくって、自分の熱意をひたすら自家発電で燃やし続けるタイプ。だから同じアルバムを何回も聴いちゃう(笑)。なんか、燃えちゃうんですよ。

── 今されている仕事にもつながりそうですね。肩書きに当てはめるのではなく、自分が好きなものいかに伝えるか、という点で。

田中
そうそう!私には編集者の力がないというか、いろんな情報を整理してわかりやすく提供するということが得意ではないんです。でも、「こんなにすてきなものがあって、こんなにかっこいいの!」って、火に油を注ぐような役目はできる。

── 「自分の特性に気付く」みたいなことが大事なんでしょうか。

田中
すごく大事。特性と自分の望みが合っていない場合もあるんですよ。若いときは、望みを選びたいと思っていたかもしれないですけど、歳を重ねて自分の特性とうまく付き合いながらやっていくのもアリかなぁと思います。だから歳取ってからの方が楽しいですね。

── いつぐらいからそう思えたんですか?

田中
本当にここ最近です。40代になってから。それこそグランドレベルとか、喫茶ランドリーとかをやり始めてからですよ。

若い時って、自分が何者かでないといけないような気がしちゃうじゃないですか。あれは辞めた方がいいですよね。「自分にやりたいことがない」とか「何者でもないことで死ぬんじゃないか」と思い悩んでいる子とか、見るだけで可哀相になる。私も可哀相な一人でしたし。でも、やりたいことがなくても、夢がなくても、「今は幸せですけど何か?」といえるようになるから。

あとは、「何かに興味がある」と表明してしまうと、周囲を含めてその興味に対してのフィルタリングがされるので、私はなるべく「何にも興味ないです」って言ってます。それは事実としてもそうなんですけど……「なりたいもの」とか「やりたいこと」がなくても、「幸せかどうか」しか関係ないと思うので。

── 難しく感じる人も多そうです。「なりたいもの」とか「やりたいこと」がなくてもいい代わりに、別の信じられるものがあった方が良いのでしょうか。

田中
たぶん、「どうありたいか」だと思う。たとえば、歌手になりたいって人がいたら、「どのような歌手になりたいか」にフォーカスする。人を笑顔にしたいなら、歌で万人を笑顔に出来ていなくても、隣にいる人を笑わせていられるか、と考えられる。

そういう「自分の軸」みたいなのがブレていなければ、それほど戸惑わないと思うんです。でもその軸って若いときほどブレるから。やっぱりお金がほしい!とか(笑)。私はそういうところがブレなくなったんですよね。

お金に興味はあるけれど、本当に才能がないことも最近よくわかってきたから、あんまり積極的に自分から学ぼうとしてないし。欲しいもの全部が手に入らないとわかったので、そのうちのいくつかで生きていくしかない。

── でもそうやって絞られていると、生きやすくはなりますよね。

田中
かけがえなくもなります。

お金も何でもそうですけれど、人は相対的な状態である以上、ずっと不幸なんですよ。「人よりもっと」「社会的にはもっと」って思ってしまう。でも、「私にとって」が極まっていればいい。たとえば、お金を大して持っていなくても、「お金の使い方なら誰よりもスマートだよ」って思えるお金との関係を作れていれば、それはそれで悪くないと思う。それも「どうあるか」の方が大事ですよね。

── 相対的より絶対的に、あり方を考えるんですね。

田中
そうそう。これは本当に戦いです。何と戦っているかというと、相対性で人を焦らせて、経済を回している一部がいるじゃないですか。「もっとキレイにならないとモテないよ」みたいに。特に、女性の世界ではその煽りがひどいので。そういうものにも勝つくらい、自分の周りの小さな環境が幸せであった方がよろしいよね。

今こそ、生まれたタイミングが良かったと思いますよ。もし、もっと高度経済成長期だったら、私はその辺で寝て、生活するしかなかったと思うっていうくらい社会にハマれなかっただろうから……スポッとハマった人は幸せな時代だったと思うけど、ハマれなかった人には窮屈なはずなんで。

今はその分、いろんな生き方をしていても「お好きにどうぞ」って感じなので、良い時代ですよね。

 

後編では、喫茶ランドリーの開業とそこから得たものにフォーカスしていきます。
後編「受動機会にさよならを。特性を引き受ける生き方が、あなたを大人へ変える

PROFILE
株式会社グランドレベル代表取締役社長
田中元子
1975年、茨城県生まれ。某大学医学部に合格するも家出。都内で一人暮らしを送る中で、スペイン人建築家カンポ・バエザの書籍に出会い、建築に惹かれる。独学で建築を学び、2004年、大西正紀と共に、クリエイティブ・ユニットmosakiを共同設立。建築やまち、都市などの専門分野と一般の人々ととをつなぐことを探求し、建築コミュニケーター・ライターとして、主にメディアやプロジェクトづくり、イベントのコーディネートやキュレーションなどを行ってきた。2010年より「けんちく体操」を広める建築啓蒙活動を開始。同活動は、2013年に日本建築学会教育賞(教育貢献)を受賞。2012年より、ドイツ、南アフリカなど、海外へと活動を広げる。2014年、毎号2万字インタビュー3万部印刷し、全国の建築系教育機関等へ無料配布する建築タブロイドマガジン『awesome!』を創刊。同年、都会の遊休地にキャンプ場を出現させる「アーバンキャンプ・トーキョー」を企画・運営(協同)。同年、『建築家が建てた妻と娘のしあわせな家』(エクスナレッジ)を上梓。2015年よりプロジェクト『パーソナル屋台が世界を変える』を開始。2016年、株式会社グランドレベル設立、代表取締役社長。

好きなこと:プログレッシヴロック、プロレス、建築、東京