「弱みの強み化」でコンプレックスは武器になる──おもちゃクリエーター 高橋晋平×クラシコム 青木耕平対談 前編

書き手 長谷川 賢人

写真 廣田達也

「弱みの強み化」でコンプレックスは武器になる──おもちゃクリエーター 高橋晋平×クラシコム 青木耕平対談 前編
おもちゃクリエイターとして「∞(むげん)プチプチ」などのヒット作を手がけてきた高橋晋平さん。現在は大手メーカーから独立し、自身の会社である「ウサギ」を立ち上げ、ボードゲームやおもちゃの開発・企画、アイデア創出を仕事にしています。

今回の対談は、以前から親交のあるクラシコム代表青木が、高橋晋平さんの働き方やあり方について、かねてより感じていた「不可思議さ」を聞いてみるところから始まりました。それは、ある本の言葉を借りれば、高橋晋平さんの「最弱のビジネスパーソン」と評されるほど、精力的な仕事ぶりとは反するような「弱さ」にスポットライトを当てること。

クラシコムが立ち向かうのも、そんな「弱さ」を受け入れた戦い方。言うなれば「弱いまま勝つ方法」を模索する集団です。はたしてそんなことが可能なのか。ふたりの「弱さという魅力」をめぐる旅が始まります。

株式会社ウサギ 代表取締役

高橋晋平

2004年株式会社バンダイに入社。『∞(むげん)プチプチ』が第1回日本おもちゃ大賞を受賞するなど、数多くの玩具の企画開発、マーケティングに携わる。2014年に独立し、株式会社ウサギを設立。現在は、主に様々な企業との玩具雑貨・ゲームなどの商品開発や、組織内の企画チームづくりに携わり、企画に関するセミナー、執筆など幅広く活躍中。近著に『企画のメモ技』(あさ出版、2018年)。

好きなもの:焼き鳥、ルービックキューブ、にゃんこ大戦争

「弱いまま勝つ」から希望になる

青木
何かの会合で、晋平ちゃんが「嫌いなものは不良」って書いているのを見た時、自己開示のセンスがあるなぁって思ったんだよね。

「弱々しい自分」という自己開示が、ひとつの編集されたコンテンツになっていて。それが瞬間的に「この人は面白そうだな」って思えるちょうどいいレベル感で。重くないというか。

ただ、自分もそうだけれど、意外と「自己開示」がうまくない人は多い気がする。

高橋
バンダイで一瞬だけ営業の仕事をした時、ある先輩に「キミの弱々しさは武器だ。それが活きて仲良くなるべき人と仲良くなれる能力がある」と言われたんです。営業が意外に向いているのかなと思えた時でしたね。

青木
自己開示がうまい人って、要は「自分はこんな人です」と見せられるから、それに合う人が寄ってくる構造だしね。まずは自分が何者かを明かして、どんな人が好きなのかを示さないと、誰だって寄り付きにくいから。

高橋
僕にとっては「弱々しい」ということを知ってもらうのがスタートなんです。あまり良く思えないかもしれないけど、これにはラッキーな部分もありますよ。

青木
そうなの?

高橋
幸いに仕事がいろいろと舞い込むと、中には気の進まないものもある。でも、体の弱さを理由に断れるんです(笑)。みんなが判断に迷うようなところを「弱いから無理」と根拠がしっかりしているから、すぐに決めることもできる。

こういった思考の転換は、大学で入った落語研究会で、僕の場合は自虐ネタがいちばんウケたっていうのが大きい気がします。僕は高校まで虚弱な自分がずっと嫌だった。でも、それが「ラッキー!おいしい!」となる感覚に初めて気づけたポイントなんでしょうね。

青木
なるほどなぁ。僕は今日、こうして話せると決まったとき、真っ先に思ったのが「弱さ」についてだったんです。晋平ちゃんが商売にしている「アイデア」というものも、実はすごく弱きものじゃないですか。まるで僕らのように、不良みたいなやつに追い払われ、力を発揮できぬまま、日の目を見ずに終わっていくのがアイデアだという気がしていて。

まさに弱い存在が、弱きものを商売にしていることが素敵だなって。それで生計を立てるというのが奇跡なんじゃないかと。

高橋
それは初めて言われました。でも、言われてみるとそうですね。

青木
「弱い」や「強い」でいえば、僕は「弱い」ほうがマジョリティだと思う。「強くなって勝つ」という物語は、大多数の人には希望にならない。つまり、多くの人にとって希望がある物語とは「弱いまま勝つ」ことなんじゃないか。

クラシコムで考えている「フィットする暮らし」とか「フィットするビジネス」とかは、言い換えると「自分のものさし」で、心地の良い生き方を選べる暮らしやビジネスのあり方を探したい、ということなんですね。強さを極めて立身出世する従来型の流れがある一方で、「弱いまま勝つ」というのは希少な事例になる。

それこそが面白いなぁと思っているし、晋平ちゃんにも似たものを感じていて。だから今日は、その「弱さ」について話してみたいんですよ。

高橋
僕が青木さんに会ってすごく衝撃を受けたのは、「いかに無理をしないことを考えるか」にすごく戦略的なことでした。多くのビジネスパーソンは「パワーで推し進めて刈り取っていくんだ」と戦略を語るじゃないですか。でも、青木さんはそうじゃない。だから、恐れ多いけれど半端のない共感がありました。

イケメンだって秀才だって「弱い自分も見てほしい」と思ってる

青木
人間ってさ、ホリスティックに、全人格的でありたい生き物なのに、どうしても一部分だけを切り取られて語られることの窮屈さがあるじゃない。イケメンなら顔のことを、難関大学を出ていれば頭の良さを……みたいに。

ただ、結果的には、話を聞いていてもその人の「強さ」ばかりに自然と意識が寄せられてしまう。でも本当は「弱い自分も見てほしい」というか、「そこじゃない部分」を知ってもらえた時に距離が詰められることもあって。

高橋
その点は、僕は諦めているところもあります。例えば、怒りそうな人が目の前にいたとしても、「僕みたいのが怒られても仕方ないか」と自然体でいるとうまくいく。自分と合わない人とは「そりゃ相容れないよね」で終われますし。

青木
そうそう。炎上しないんだよね。最初から相手に自分が伝わっていれば、何も起きずに終わるだけになる。

高橋
本当にそうなんですよ。以前に石川善樹さんが著書で、僕のことを「最弱のビジネスパーソン」って書いてくれていましたが、「弱くてもいい」と言ってくれる人とパートナーが組めれば、ビジネスもうまくいくわけですから。

青木
そうか、期待値コントロールのひとつなんだね。

高橋
そうですね。自分も好きな人だけがまわりに集まるし、そうじゃなくても普通でいられる。その場合の「弱さ」は「傷つきやすさ」を指していますけれど、そこで無理をするとダメージが溜まるわけで。

さっき、イケメンは顔ばかりを見られるという話がありましたけど、イケメンであることそのものをコンプレックス化するという戦術が取れるかもしれませんね。やはり、人間はコンプレックスの方が武器になるというか……結局は、弱点を裏返すことで自分の欲求や武器が見つかったりするわけですから。

青木
僕のイケメンすぎる友達が「初恋なんていつだったか覚えてない」って言うわけ。その自虐の仕方をすごくカッコいいと僕は思うんです。「俺なんてイケメンじゃないっすよー!」っていうんじゃなくて、「イケメンすぎるがゆえに初恋がいつだかわからない」というのは、誰もが可哀想とわかるし、本当に同情できる「弱み」になる。

つまり、自分の突っ込みどころをわかりやすく作るのは「弱みの強み化」ですよね。単なるコンプレックスの裏返しとしての自虐ではなくて、鉄板のネタとして「いじっていい弱み」を提示できている状態なんでしょうけれど。

高橋
この前、とある大企業の偉い人から飲み会に誘われて、僕が弱々しいことをすごい嬉しそうに「弱っちいなぁ!」って笑ってたんですね。でもそれ、僕はすでに嬉しい域なんですよ。この気持ち、何なんだろうって思ってました……(笑)。

青木
それはすでに、晋平ちゃんが一度諦めて、弱さが機能として働いているから「嬉しい」と感じられるのかもね。

諦めるって「明らかにする」という意味なんじゃないかな。触れられて反発を感じてしまうとしたら、それはまだ自分の中で明らかになっていない証拠というか。自分的な「OBゾーン」がどこなのかを明確にするのが大事で。

僕も新しいコミュニティに入っていく時は、みんなの「OBゾーン」の確認から入っちゃうところがあって。一度、適当にやってみたり、すぐ諦めてみたりして、どの程度までなら許されるのかを探っていく。そうすると、頑張らずに頑張れるラインとか、自分なりに果たせる領域がわかりやすくなって楽になるんですよね。

高橋
たしかになぁ。でも、それをするのは、なかなか難しいなぁ。

青木
諦めるのって、意志が必要じゃない。たとえば、とても美味しい焼肉を食べていて、「あと3枚はいける」って自分は思っているのに、お店から「今日はここまで」とストップをかけられたらショックを受ける。そんなふうな「あと3枚」を自分の意志でもって止めるという選択だからね。

高橋
すごく難しいです。僕にとって、それは虚弱だからこそできることなんだと思いますね。

「フラ」こそが最強の武器である

青木
そもそも晋平ちゃんの「弱さ」は、どんなところから始まっているの?

高橋
7歳ぐらいの時に不整脈が見つかって、「君は運動が危険だからマラソンなんかはやらないように」と、生まれ故郷の秋田県の町医者が言うわけです。もちろん運動は禁止だから部活は文化系にしか入れず、地元のジャスコでも不良に「おめー金貸しでけねが(※秋田弁)」と絡まれるのから全力で逃げるみたいな……それでどんどん弱くなっていって。

大学進学で秋田を出たのをきっかけに、せっかくだからと一日かけて検査してみたら、「君の心臓に全く異常はない」。

青木
秋田の町医者に騙されたみたいになっちゃってる!(笑)

高橋
しかも「心臓に異常はないんだけど、君は珍しいくらい腕が細長いね。医大の女子学生に見せたい」って、いきなり女子大生に囲まれて観察対象にされたりしてました(笑)。そこからは普通に生活しだしたけれど、もう運動したくないし、筋トレもすごく疲れるし……というのが、ひ弱になっていったエピソードでした。

それで、高校までの反動で「大学デビューするんだ!」と僕が選んだのがお笑いでした。当時は、いわゆる“ボキャブラ世代”の芸人が流行っていて、唯一のお笑いサークルだった落語研究部に入ったんです。

でも、名人の落語を真似てみても、どうにも寒いまま。せめて「元気いっぱいでやろう!」と慰問で訪れた老人ホームで頑張っても、お年寄りが具合悪くなっちゃって退出するくらいにスベっていた(笑)。

3年目くらいのある時に、身に起きた不運な話をボソボソ話したら妙にウケたんですよ。「あれ?素のままが結局面白いのか?」と、そこで気づけたというか。

落語で、その人の存在そのものからにじみ出るような笑いを「フラ」というのですが、まさにそれですね。

青木
自分のフラが見つかったんだ。でも、3年もスベり続けられてるのが本当にすごいよ。

高橋
いましている「アイデア」の仕事って、どうなるかもわからないものを考えたり、ひたすら没ネタでも生み出したりするんですが、それを面白いと思えているのは、そのスベり続けた日々がきっかけになっていると思います。スベり続けたから気づけたことがあるものですね。

原宿キディランドで開眼した、スベり2ndシーズンからの転換点

高橋
就職でも「人を笑わせたい」という気持ちが強まって、笑わせるプロダクトといえばおもちゃだろうとバンダイに入社したんです。ここが僕にとっての「スベり第2期」ですね。

青木
セカンドシーズンが幕開けてしまった!(笑)

高橋
落研での虚弱芸でウケていたのを「センスがある」と捉えてしまって、シュールな企画を出しまくったんです。

たとえば、観葉植物を置いている家は多いけど、植物は根が張って動けないから、リードをつけて連れて歩ける植木鉢を作りましょう……みたいな。

それをバンダイという大企業の会議室で言っちゃってるわけです。そんなことを何週間も続けていると本気で叱られ始めて……それが2年くらい続きました。

青木
そこから大ヒットおもちゃを生み出すまでに転換点があったの?

高橋
2年目の秋ぐらいに、アメリカで流行ってた「20Q(トゥエンティ・キュー)」っておもちゃが輸入されてきました。20個の質問に「はい」「いいえ」で答えていくと、思い浮かべたものが高い確率で当たるんです。一時期、ネットで話題になった「アキネーター」みたいなものですね。

僕は「おもちゃ市場は冷え切ってる」なんて上から目線で言い始めていたんですが……それが原宿のキディランドで、見ている目の前でどんどん売れていったんです。

その時にすごく反省して、価値観から何から全部ぶち壊されました。外からヒントを求めずに、自分の「内なるもの」や「センス」で思いつこうとしていたのが、全て履き違えた考え方だったんだと思えたんです。

今日までひっそり生きてきて、インプットしようという気もあまりなく、欲求もないまま「イノベーティブなことをやりたい」なんて具体性のないことを言っているようじゃダメだ。とにかく外へ出て、ヒントをもっと探していこうと、何を見てもおもちゃにならないかをフルパワーで考えはじめたんです。

青木
今までの話を聞いていて、もちろん「弱さ」は通底するのだけど、一方でヘンな強さもあるなって思った。「勤勉ですね」って言われない?

高橋
言われます。それだけは長所と思ってきましたし、受験勉強もちゃんとした口です(笑)。

そこからは、その勤勉な性格をフルに生かして仕事をしたんです、最初にヒットしたのは、性格診断や心理学を取り入れた2007年の「Human Player」でした。それから「∞(むげん)プチプチ」や「∞(むげん)エダマメ」みたいな、バンダイのキャリアのおいて最大のヒット商品が出せました。

そこまでは真面目さだけでやれたわけですが、その後に、病気で体調を崩して倒れるわけです。そこが虚弱エピソードの最もクライマックスというほど、死を意識したときです。28歳だったかな。

青木
通常のモードに戻るまではどれぐらいかかったの?

高橋
1年半ですね。全身が痛くて、寝たきりになって、泣いて暮らすような毎日でした。

青木さんがさっき「諦めるには意志がいる」っておっしゃいましたけど、それこそ仕事がうまくいっていたら、諦めるタイミングなんて来ないものです。でも、僕の場合はそれを体が止めさせたんです。

勤勉さの度が過ぎたというか……ヒットさせ続けないといけないというプレッシャーも知らずにあったのかもしれません。このままではダメだと思って、仕事のやり方を変えねばならなくなったのが、独立をするきっかけのひとつでしたね。

 

後編は、高橋さんが体調を崩したことをきっかけに、自身の働き方を見つめ直し独立をしたお話から始まります。
後編「“凸凹人材論”を知ることが「弱いまま勝つ組織」をつくる

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