ビジネスよりも居心地の良さで選んだ地元で、唯一無二のブランドを育てる。オールドマンズテーラー代表 しむら祐次・とくインタビュー【前編】

書き手 小野民

写真 土屋誠

ビジネスよりも居心地の良さで選んだ地元で、唯一無二のブランドを育てる。オールドマンズテーラー代表 しむら祐次・とくインタビュー【前編】
社員は10人ほどの小さな会社で、その店は富士山の麓の小さな街に佇んでいる、それが有限会社オールドマンズテーラーです。

これだけ聞けば、地方にある小さな会社のひとつにすぎないのだけれど、私のまわりのおしゃれな人はみんな、ここから発信されるブランド「R&D.M.Co-」について語ったり、品物を持っていたりするのです。聞けば、クラシコムのスタッフもファンが多いとか。

実際にコンセプトストアである「THE DEARGROUND」の客層の過半数は、全国からここを目指して来る人だといい、「わざわざ来たい店」として存在しています。

オールドマンズテーラーの代表であり、「R&D.M.Co-」のデザイナーでもあるしむら祐次・とくさん夫妻は、拠点である富士吉田市でものづくりを続けてきました。

製糸から仕立てまで自分たちで手がけるストイックさを持ちながら、すてきな商品を生み出してきた2人。繊維産業が息づく街で生まれ、大切に育まれてきたブランドやお店を成り立たせる価値観を、富士山が目前に迫るすてきなロケーションでうかがいました。

有限会社オールドマンズテーラー代表、R&D.M.Co-デザイナー

しむら祐次・とく

山梨・富士吉田市で繊維業を営むとくさんの実家、(有)テンジンに祐次さんが入社、1999年に結婚。2001年に布製品会社(有)オールドマンズテーラーを設立し、そのリネンブランドとして2004年「R&D.M.Co-」を立ち上げ、年に300点のペースでものづくりを続けている。2014年、ショップとカフェと併設したコンセプトストア「THE DEARGROUND」をオープンした。

伝統のブランドをつくるベンチャー企業として

──富士吉田でものづくりをされて、ここにお店を構えて、地元一筋というか、浮気な印象が全然ないのがかっこいいなぁと思っています。どうして一貫して地元にこだわっていらっしゃるのでしょうか。

祐次
お互いに高校を卒業してから 県外へ出たけれど、僕は地元に友達が多いから帰って来たっていう単純な話なんですよ。彼女は家業を継ぐことが決まっていましたしね。

今の仕事だけ考えたらもっといい場所があると思いますが、居心地の良さはここにはかなわない。

僕はいろんな仕事もして、東京にまた出ようかなという気持ちもありましたが、彼女との出会いもあって、仕事のパートナーとしてもやってみようと思ったところから、こういうかたちになっていきました。

格好つけておしゃれしたり、バンドをしたりしている仲間が多かったから、若い頃は地元で遊び、寝ずに仕事をしていたりしました。遊びを90パーセント、仕事は10パーセントぐらいの割合。みんなでパーティーもやったりして、ちょっと刺激的な楽しさもあった。東京に行かなくても全然良かったんです。

──県庁所在地でもない小さな街だけれど、文化がある。ちょっと意外な感じがします。

祐次
東京にカルチャーを求めるにしても、仕事してお金ができたら東京に行って本買ったりクラブ行ったりしていた時代もありました。東京も1時間強でいけますからね。洋服が好きだったから中学生ぐらいの頃から東京にはちょくちょく買物に行ってたので、距離感もありませんでした。

──とくさんの家の家業をまずは一緒にやっていて、しばらくして「オールドマンズテーラー」という会社を設立されました。きっかけを教えてください。

祐次
彼女の実家では、ネクタイの生地をつくっていたんです。僕らが家業を手伝いだした2000年頃って、日本の大量生産のものづくりをどんどん中国に委ねる時代に移っていた。ネクタイもやっぱり何千本、何百メートルの生地を生産するとなると、中国で生産するものに替えられてしまう流れがありました。

会社が一生懸命生地を織っても、どうしてもコストを削減されたり、どんどんまわりも仕事が減ってきて、潰れていく会社も増えていく時代でした。

それで、ネクタイの自社生産と卸を考えて、オリジナルのハンドメイドネクタイをつくって営業し、なんとか百貨店で取引が決まりましたが、請負工場が問屋を飛び越えて、いきなり百貨店とつながるっていうのは……。

とく
タブーというかね。

祐次
生地をつくる仕事まで切られちゃうんじゃないか、という心配をしなくてはいけなかったんです。

会社の存続を考えたら生地の生産は落とすことができないので、至急別会社をつくらなくちゃいけなくなった。そこで、「オールドマンズテーラー」という会社を作って自分が代表になりました。

彼女の家で家業である生地づくりとネクタイづくり、両天秤で動き始めました。

──オールドマンズテーラーという名前には、どんな由来があるんですか。

祐次
2人でデザインの元になるネタを探してフランスに行ったときに、「OLD ENGLAND」という店に行ったんです。

とく
フランス拠点のオリジナルブランドで、すごく素敵な店なんです。

祐次
英国のトラディショナルな洋服をつくるブランドです。そこはとても気品があり、英国紳士的な感じのお店なんですが、誰でも入れるような気安さも同居しているお店。

おじいちゃんが、たまの買い物はトラディショナルなものを買う。そういう人が身につけて持っているアイテムがすごく新鮮でかっこいいことってありますよね。

たとえば、子どもや孫が箪笥を開けたら粋なネクタイがあって、彼らに受け継がれる……なんて光景を思い描いたら、「オールドマンズテーラー」って名前が抜き出したように浮かんできました。

──素敵ですね。今のおじいさんの話、想像したらちょっとぐっときちゃいます。

祐次
受け継がれるようなブランドになりたい、長く続く老舗になりたいという想いを込めた名前なんです。

簡単にできると思った「リネンのキッチンクロス」の難関

──オールドマンズテーラーといえば、ネクタイの次につくったのが、リネンのクロスだったのですよね。リネンの商品をつくり始めたのはどうしてですか。

祐次
もっと何か違うことを考えていかなきゃならない時代だった。そこで、彼女の集めていたリネンのキッチンクロスに着目したんです。

オールドマンズテーラーのネクタイは、古い織機でシルクの生地を織ったこともあったんですが、この織機で彼女の集めていたリネンが折れるんじゃないかと単純に思ったことから始まったんです。

いまでこそ、「リネンのクロス」って手に入りやすくなりましたけど、その頃は、インポートものを扱っているセレクトショップでアンティークリネンを見かける程度で、全然出回っていなかったんです。

とく
量産タイプの高速の織り機だと、生地の両端は横糸が出て残ります。でも、私たちが古い織機で織っていたネクタイ生地は耳付き(布の端まできれいに織れる)だったんです。それができるんだったら、リネンのキッチンクロスも織れるんじゃない?って。自分がほしいものをつくるのがいいと思ったんです。

祐次
自分たちがよく行くお店には、アンティークの家具やリネン生地がよく置いてあったので、もしかしてアンティークのレプリカ生地をつくったら需要があるかな、という読みもありました。

織機と素材の相性なども考えず、ただ単純に織物という観点で簡単に考えていて、実際は難しかった。

──糸が変わるだけでそんなに違うんですか。

とく
全然違うんです。それぞれの織機は、扱う糸にちょうどいい力加減にできているんです。だから勝手が全然違う。

布の端まできれいに織れる古い織機は、動作もゆっくり。横糸が行き来して鼓動のようにカシャンカシャンと鳴る音を、この地で育つ子は、子守唄のように聴いて育つ。

祐次
でも、彼女のお兄さんが困難なものづくりに対して、前向きに考えてくれました。いろんなやり取りをしながら、1年ぐらいかけてやっとかたちになったんです。

ある程度かたちになってからも、「これなら出せる」「いや、出せない」っていうせめぎ合いが続いて、100パーセント自分たちでいいと思えるものに到達するのには時間がかかりました。

もともとが、ヨーロッパのアンティークの生地を好きで集めていて、質感にこだわりもある。だから、それに近づけるまで「OK」となかなか言えなかった。やっと納得がいくものができて、初めてデザインするところまでいきました。

──きっと他の商品も、「自分たちが使いたいもの」という基準をすごく大事にされてる印象があります。

祐次
好きっていうことが、一番大事なことかな。普段の生活の中で好きと思えるものなら自信を持って表現できるんじゃないでしょうか。

──いまはネクタイやクロスから洋服まで、商品数もたくさんあります。どういう道のりでここまで成長してきたのでしょうか。

祐次
まずは自分たちのものづくりに対しての評価を聞くのがスタートだった気がしています。僕らはいいと思っているものを、みなさんどう思うか全然分からなかったです。

ネクタイを持って営業に回ったこともあったんですが、商品を持って営業にまわると断られやすいという実感もありました。ならばたくさんの人に見てもらい、評価してもらおうと「R&D.M.Co-」を立ち上げてギフトショーに一回出たんです。

──え、ギフトショーって、あのビッグサイトとかでやっているやつですよね。

とく
そうなんです。何に出ていいか分からないから、とりあえず名前を聞いたことがあるものに(笑)。

小さく始めて、じっくり育てるブランド

祐次
ギフトショーのなかでも、新しい企業が集まって出店するスペースに出したら、すごく反響があったんです。

とく
商品は極端に少なかったんだけど、ディスプレイにも気をつかいました。

──どんな商品が並んでたんですか。

祐次
家具と生地、コート1着、Tシャツ、トートバッグと……。

とく
本当に数点でしたね。

祐次
なんとなく他とちょっと違うぞ、というイメージを持ってもらえたようでした。商品が少ししかないから、それを良く見せるように飾ったら、ひとつの部屋みたいな感じにできあがったんです。それがすごく良かったようで。問屋さんや雑貨屋さんからたくさん引き合いがきました。

だけど、既存とは違うことをしようと立ち上がった経緯があります。今までと同じような感覚で、問屋に卸していくだけではいけないという気持ちがあったんです。そこで、自分たちは製品をどういうふうに卸していくかをすごく考えました。

僕らのこだわり……でもないんだけど、長く続けたいっていうことが大事な想いなんです。そのためにはどうしたらいいかと考えたとき、自分たちが理想とするお店と取引して、小さく始めるのがいいと思いました。

今ほどホームページを見ても情報が載っている時代じゃなかったから、いただいた名刺を見ながら、この人たちはこんな感じのスタイルの店かなと話し合ったり、実際に見に行ったりしながら取引先をチョイスしていきました。大手と地方のショップさんとセレクトショップさんとを含めて10数軒くらいからのスタートでした。

──たくさん引き合いが来たからって、多ければいいというわけではないんですね。

祐次
そうですね。会社の売り上げのためにはたくさんの取り引きをしたいけれど、商品が多く出回ると問題も出てくるんです。普遍的なものでなくて流行として消費されてしまったり、すぐに真似されたり。

──その頃から、外からはすごくいい評価だったと思うんです。引き合いもあって、おしゃれな人が注目して……。とはいえ、丁寧に糸や生地からつくって、取引先も少ない状況は、ビジネスの観点からいうと、厳しい面があったのではないでしょうか。

とく
たしかに、それでやっていけるの?みたいなことはよく言われていました。

祐次
僕らにはネクタイの生地の仕事もあって、あくまでも両天秤だったのがよかったんです。「R&D.M.CO-」は、本当に少しずつあたためていけばよかった。自分たちの好きなことだから、大事に想いを持ちながら、でも少しずつ天秤が重くなっていけばいいなっていうスタートでしたね。

だから、ネクタイの生地を織る仕事を夜中まで一生懸命やって、そこから他の商品のことを考える生活。「R&D.M.Co-」は、展示会に照準を合わせて商品をつくって、それが少しずつ分量が増えていった感じです。

そんな状況だったから、営業する時間もお金もなかったし、商品が一人歩きしてくれることに期待するしかなかったんです。誰かの口伝えで少しずつ伝わっていって、誰かが探して求めてくれる。そんな状況があれば長く続けていけるんじゃないかと思いながらやっていました。

まぁ、営業は放っておいたんですよ(笑)。そうしたら自然と「R&D.M.Co-」の分量が増えて、今はもう織機も入れ替えてネクタイ生地はつくっていないんです。

──なるほど。でもオールドマンズテーラーを支えていたネクタイにしても、中国製が増えて、潰れてしまうお店もあった中でのことですよね。きちんとつぶれずに成り立っていたのは、何が良かったんですか。

祐次
Made in Japanということを大事にしていました。

その頃の日本はインポートが流行りすぎていたと思います。セレクトショップにしても、インポートがメインで日本のものはあまり大事にされなかった。今とはまた時代が違いますよね。

デザインやセンスなど、買う側にも理由はありますが、小規模企業の生産者の自分から見た反発もあったんです。日本の中でつくったものを日本で売ることを大事しようと意識していました。当たり前のことをやっていたまでですが、それが生き残る理由になったのかなと思います。

後編では、コンセプトショップ「THE DEARGROUND」のことや、しむら夫妻のインスピレーションの源、さらにはファッションを取り巻くいまと未来についてお話をうかがいます。
後編 目指すのは老舗。HPもない謎めいた存在が、人を惹きつける。

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