インドの定番グラスを輸入販売。初めて知るB品問題への向き合い方。 フードデザイナー・モコメシ 小沢朋子さん【前編】

書き手 小野民
写真 高木あつ子(本文1、3、5、8枚目を除く)
インドの定番グラスを輸入販売。初めて知るB品問題への向き合い方。 フードデザイナー・モコメシ 小沢朋子さん【前編】
シンプルでいて洗練されたかたちのグラス「VISION GLASS」。デザイン性のみならずその使い勝手の良さで、我が家では数年来の愛用品になっています。

おしゃれな雑貨店などで目にする機会も増えたこの商品は、実はインドでは年間1000万個製造され、30年以上も当たり前に使われてきた日用品なのだそう。

VISION GLASSをインドで偶然見出し、今、日本への輸入を担うのは、「國府田商店株式会社」。”食べるシチュエーションをデザインする”をコンセプトにした「モコメシ」でフードデザイナーとして活躍する小沢朋子さんと舞台音響の仕事をする國府田典明さん夫妻が、2014年に設立した会社です。

そして、國府田商店株式会社は、キズが少しついたものなど、通常ではB品と判断される商品を「NO PROBLEM品」と名付けて定価で販売するという試みで注目を集めています。

今回お話を聞かせてくださるのは、小沢朋子さん。前編では、VISION GLASSを販売し、「NO PROBLEMプロジェクト」を行うに至った経緯を、後編ではプロジェクト、そして小沢さんが目指す未来を語っていただきました。

VISION GLASSを販売するまでの異色の経歴

──小沢さんは、「VISION GLASS」をご夫婦で輸入されながら、フードデザイナーも続けられていますよね。そもそもは、どういう経緯で今のお仕事に?

小沢
もともとは、大学院を卒業後、インテリアの設計事務所でデザイナーとして働いていました。CADで図面をひいていましたね。

ただ、学生時代から、ホームパーティをしたり、ケータリングの真似ごとというか、差し入れ程度だけどやっていて、働き始めてからも友達のイベントに何かちょっと持っていく、みたいなことを続けていたんです。

毎回イベントのテーマに合わせて料理を作る、というのはその頃からやっていました。そうしたら、どんどんそっちがおもしろくなってきて。同時に、フリーランスのデザイナーやアーティストの知り合いが増えてきて、そういう働き方もあることが分かってきた。

そんな時に、とっても魅力的なフリーランスのキュレーターをされている女性にお会いして、「この人と一緒に仕事をしてみたいなぁ」と思って、会社を辞めたんです。そして、まずは「モコメシ」っていう屋号をつけました。

──朋子の飯で「モコメシ」。改めて考えると、本当にシンプルの極みですね(笑)。

小沢
「ともこはん」とちょっと悩んでたんだけど、あまりに名前推しだろうと思って、「モコメシ」くらいで(笑)。

──遠巻きに活躍を拝見していて、フリーランスになってから順風満帆に見えているんですが、実際はどうですか。

小沢
最初の1、2年は、「世の中のケータリング全てモコメシに頼んでくれればいいのに」と思っていました。ものすごく生意気ですよね(笑)。その頃は、テーマに合わせて料理をちゃんと作る人って、あまりいなかったんです。

参加したレセプションなどでケータリングを見て、「私だったらもっとこの場に合う料理考えられるのに」っていつも思っていました。

実際の仕事は、1人でやっている時代はかなり大変で、夫に相当助けてもらいました。買い忘れた食材を買いに走ってもらったり、ケータリングの現場まで運転してもらったり。本当に感謝しています。今は助けてくれるスタッフもいるので、みんなで楽しく仕事ができるように心がけています。

──「バス代もありません」みたいな時期はないんですね……。あ、これは私の経験です。

小沢
それは、幸いにしてなかったですね(笑)。2011年に独立したんですが、その頃はケータリングって今みたいにメジャーじゃなかったので、めずらしがってもらえましたね。私が主に行っているケータリングのいいところは、たとえば300人のケータリングをやると、そこで300人のお客様に直接アピールできるんです。

300人のうち、1%でも興味を持ってくれたら次につながります。ただし、それは自分の仕事が良かったらの話なので、今でも毎回緊張します。

──ケータリングの仕事をすると一口に言っても、「料理家」、「フードコーディネーター」などいろいろな肩書きがありますが、小沢さんは「フードデザイナー」。あまり聞きなれない気がしますが、フードデザイナーってどんな仕事なのでしょう。肩書きの理由を知りたいです。

小沢
料理人って、アーティストだと思うんです。「料理」という作品をつくる人。その人の作品を食べにお店に行ったりもしますよね。一方で私のスタンスは、ずっとデザイナー。

自分の作品(料理)があるのではなくて、クライアントさんの要望を聞いて、応えるのが仕事なんです。料理の内容で叶えることもあるし、ディスプレイで叶えることもあるし、食べ方や素材選びとか、いろいろな方法でやりたいことを実現する。また、やりたいことを引き出すところから始めるのが、デザインだと思っています。

運命を変えた辺境の地で出会ったグラス

──そして、2011年からやっているフードデザイナーとしての仕事は順調ながら、「VISON GLASS」の輸入元になった、というのが興味深いです。フードデザイナーと卸の小売業ってなかなか結びつきません。

「VISON GLASS」との出会いを教えてくれますか。

小沢
2011年の5月に、インドのラダックに新婚旅行に行ったんです。4000m級の峠をバスでヘロヘロになりながら旅していて、すごく田舎に来たのに、とある喫茶店に入ったら、ものすごくシンプルできれいなグラスが目の前にポンっと置かれて。

私も夫もその美しさに感動してしまったんです。

東京に初めからあったり、NYで出会っていたらそこまで感じなかったかもしれないけど、インドの山奥で、ポンって出されたのでそのギャップに驚いたのかもしれません。後で製造元のBOROSIL社の人が教えてくれたんですが、アメリカで輸入している人たちは、インドの西の砂漠の中でグラスに出会ったんだそうです。

──それだけインド国内では行き渡っているってことですね。

小沢
そうですね。どこに行っても手に入るようなグラスなんです。カフェで出会って譲って欲しいと頼んだときも、「マーケットに行けばあるよ」と言われて。

それでマーケットで探すんだけど、2、3日探しても見つからなくて、あきらめて観光していたんです。そしたら屋台のおじさんたちがこれでお茶を飲んでいて、テントの裏に空き箱がいっぱい転がっていて。そのパッケージの写真をとって、マーケットに戻ったら無事見つけて、1箱6個入りで3箱くらい買って帰りました。

──気に入ったのは分かるのですが、なぜ、輸入するぞ、ってところまでいったのでしょうか。

小沢
販売するまで約2年は空きました。日々、これいいなって思い続けられる確信みたいなものを得るのに、2年はかかったんです。

──じわじわと想いが募った感じだったんですね。

小沢
変な言い方なんだけど、「嫌にならないな」って思ったんです。ずっと「これもう素敵!」みたいな感じじゃなくて、嫌にならない確信が持てた感じ。

インタビュー時に出してくださった金木犀シロップのソーダ割りも、もちろんVISION GLASSに注がれて。

これは一生嫌にならないな、一生持っていてもいいって心底思えたから、「じゃあ輸入しよう」って。私たちが販売すればずっと日本にあるということだから、ずっと使えるよね、と。だから最初から目標は、「一生売り続けること」です。

とにかく続けることを目的として、いろんな判断をしています。

──その決心をして、製造元にメールを出して、返事が来たら会いに行ってというアクションを起こすわけですよね。

そのときのことを書いた記事で、「独占契約を結ぶつもりで行った」て書いてあったんですが、それはなぜですか。「独占契約」っていうものをちゃんと理解していなくて……。

小沢
独占販売契約は、日本国内においては國府田商店株式会社を通して販売する契約です。

大きい商社が、大量に仕入れて安く販売するような可能性もあるから、うちでちゃんと独占的に販売できる権利がほしかったんです。

そうすることで、ブランディングもゆっくり、しっかりできるので。じわじわいきたいなと思っていたから、その横で他の会社がいっぱい買って世の中に流通させちゃうと、ブランディングがうまくいかないだろうと思っていたんです。

でもはじめましてで「契約してください」って言っても断られちゃって、1年間はその契約はなしでやっていたんです。でも向こうの担当の部長さんがすごくいい人で、私が料理の仕事をしていて「VISION GLASSを使ってこういう料理つくってるんですよ」って見せたら、感動してくれて。

「え、うちのグラスでケーキ焼けるの?」みたいな。こっちとしては「え、オーブンに入れられるって書いているじゃないですか」って(笑)。

──自分のところの商品だけど、知らなかったんですね。

小沢
インドでは30年以上売っているけれど、単なる飲み物のグラスなんですよね。「契約書は書けないけれど、1年間は小沢さんのところにしか卸さないですよ」と口約束をしてくれました。

1年の間に、パンフレットをつくったり、展示会に出て取引先を増やしたりして実績をつくりました、翌年またインドに行って、「1年間こういう活動をしてきて、こういう風に伸びてます」と話をして、契約に至りました。

BOROSIL社がとても大きな会社なので、取引をする際にちゃんとしなくちゃと國府田商店株式会社を設立して取引しています。

体当たりで始めた小売業。B品の割合が大きな壁になる

──2011年にVISION GLASSに出会って、2013年から販売を開始して、今は丸4年経ったところ。現状、卸し先は何箇所くらいあるんですか。

小沢
顧客はのべ250店舗くらいあるけれど、一回きりのところもあるので70〜80店舗がコンスタントに、少なくとも年に2回くらいは注文が実際にあるところですね。1番多いところだと月に1回注文がくる頻度です。

会社で取引先が1000あったら回るのが3割くらいってのは普通のことらしいので、うちもこのくらいが現実的な数字なのかなと思います。

──VISON GLASSを事業としてやっていて、その今、まだまだ途中だけど、その途中で NO PROBLEM PROJECTになる種が生まれたんですよね。経緯を教えて下さい。

小沢
2013年に初めて輸入した時、ふたを開けてみたら半分のグラスがダメ、売れないいわゆる「B品」だったんです。「日本人はちょっと厳しいから、いいの送ってね」「 OK。いいの送るよ」というやりとりをしたけれど、です。

お店で売っていたら自分はどう感じるかなという基準ではじいたら、だいたい5、6割、半分超えるくらいダメだったんです。そこから、私たちの悩みが始まりました。

──どんな風に解決しようとされたんですか。

小沢
まずやったことは普通で、BOROSIL社に「品質を上げてほしい」と要請をしました。すると徐々によくなって、1年半くらいをかけて、B品は半分になりました。

5割が半分になって2.5割。このままB品も減りつづけてくれるかなと思ってたら、そのくらいで頭打ちになって、あまり変わらない状況が1年くらい続いたんです。販売すればするほどB品が増える状況になって、改善も見込めず、危機感を抱きました。その時点で2年弱の間のB品がだいたい5000〜6000個たまっていました。

その頃は、小さい倉庫だったからB品でいっぱいになって入りきらなくて、自宅に持ち帰り始めたら段ボールの隣で寝る生活になってしまって(笑)。根本的に考え直さないとダメだと思いました。

それでもB品を私たちは捨てられないし、ずっと取っておいたんです。B品の扱いとして一般的なのは、アウトレットで安く売る方法ですが、それは納得がいかなかった。普段、自分たちはB品を使っていて何の問題も感じないんです。

そういう悩みを抱えているときに、VISION GLASSのメーカーであるBOROSIL社に言われたんです。「私たちは使えるものを送っているつもりです」と。

基本的に前向きに改善はしてたけれど、「日本人は厳しいと思うし、私たちとしてはこれは使えると思いますよ」って。それを言われた時に「確かにそうだよな」って納得もしたんです。

インドでよく耳にする言葉「No problem」の意味を考える

そこで、根本的な問題の解決策として思いついたのが、B品を定価で売るアイデアです。

混ぜて定価で売ると品質を下げてしまうから、「NO PROBLEM品(以下、NP品)」と別の名前をつけて、あえて定価で売るのです。

NO PROBLEMという言葉がどこから来ているかというと、インド人はよく「ノープロブレム」って言うんです。昔デリーのお店でVISION GLASSを買おうとして、傷があるから変えてほしいって言ったときも、ごしごし磨いてくれてノープロブレムってつき返されて「確かに」と、納得したんですよね。

──それ以外の場面でも、インドの人はよくノープロブレムって言うんですか。

小沢
「問題ない」ってしょっちゅう言ってますね。

ただ、NP品をいきなり定価で販売しても、訳がわからないですよね。だから、どうしてその考えに至ったかを、ちゃんと伝えた上で販売しなくてはいけないと考えました。

それで、展覧会というかたちをとって、考えを伝えることにしました。2015年の10月に、小さい展覧会を現在のVISION GLASSの倉庫で開催しました。

その時に、たまっていたグラスを全部積み上げたりとか、ありとあらゆる種類の傷を見せたりとか、NP品に投票してもらうような展示もしました。

──投票?

小沢
傷の軽いものから重いものまで順番に並べて、「どこまでだったら定価で買えますか」って投票形式の展示があったんです。それは、今年開催したNOPROBLEM展でも踏襲しました。

──残念ながら展覧会には行けていないのですが、今年の展覧会のためにつくられたタブロイド紙を読んでも、NP品を定価で売る挑戦の「なぜ」の部分の伝え方がすごく上手だと思いました。

小沢
2015年に初めての展覧会をやって、考えたことが2つあるんです。

ひとつは、意外と最終的な買い手は傷に寛容なんじゃないかという期待。もうひとつは、B品の問題って、決してVISION GLASSだけに関わることじゃなくて、世の中に売られている全てのものに当てはまるトピックなのではないか、ということです。

だから、VISION GLASS以外の日用品まで広げて、品質のことやB品がなんで生まれるのかを考えてみたいと思いました。グラス以外にも視野を広げて取り組めば、社会的な意義も見出してもらえるのではないかと。

もうちょっと客観的な視点で、日用品の品質について考えてみたいという想いで、知り合いの編集者やデザイナーに声をかけて、共感してくれる人とチームを組んで編集しました。

老舗木工家具メーカーの「マルニ木工」をはじめとした全国のものづくりの現場、インドを拠点に世界で活躍する建築事務所「スタジオ・ムンバイ」などに広く取材した。

最初は書籍をつくろうと考えていて、いろんな取材先を探して、インタビューに行きました。話の内容としては、取材先のメーカーが自社の商品の品質についてどう捉えているか、B品の判断基準はなにか、検品のやりかた、などです。

検品回り、品質管理周りの話をインタビューしていたんですけど、卸しの会社や小売店にも取材に行きました。製造されてからお客さんの手に渡るまでの商流のなかで、それぞれの意見があるだろうから、なるべく網羅したかったんです。

いろんな立場の人で、取り扱い商品もさまざま……といろんな点で満遍なくバランスをとりながら、取材先を絞り込んでいって、VISION GLASSの製造元のBOROSIL社も含めて、13社にインタビューして記事にしました。

──拝読しましたが、どれも説得力のある話でいいインタビューでした。すごく考えさせられましたし。

小沢
ありがとうございます。もっともっとたくさんおもしろい話はあって。

最初は書籍にするつもりだったのが、途中で、「日本デザイン振興会」のギャラリーの担当の人が興味を持ってくれて、展覧会をやることになったんです。

インタビューを進めていくうちに、これって一度本にまとめて結論が出る話でもないし、やればやるほどまとまらなくなってくる感じがあったんです。「本じゃない方がいいんじゃないか」と編集の人に提案をもらったのもあって、展覧会というかたちに落ち着いた経緯があります。

タブロイドにすると、1号2号と続けることもできるからという提案もあって、展覧会とタブロイドっていう形になった。ほぼ同時に「デザイン・クリエイティブセンター神戸」からも声をかけていただいて、巡回展が実現しました。

 

後編では、さらにNO PROBLEM プロジェクトの詳細について、そしてこれからの展望をお聞きしています。
日本人の目が厳しいってホント?B品の定価販売が教えてくれる大事な視点

PROFILE
フードデザイナー
小沢朋子
「食べるシチュエーションをデザインする」をコンセプトに「モコメシ」として活動。レセプションやイベントへのケータリングの他、雑誌へのレシピ提供、執筆、メニュー開発などで活躍中。2012年、都内に「モコメシアトリエ」オープン。2013年、自身がインドで見つけた生活道具の展示販売の企画も始め、VISION GLASS JPサイトを立ち上げる。2015年、VISION GLASSのB品(NP品)を定価で販売するプロジェクトを開始した。著書に『モコメシ おもてなしのふだんごはん』(主婦と生活社)など。http://visionglass.jp

好きなこと:甘酒で作るホットケーキの朝食、おひつの中でぬるくなった玄米ごはん、帰り道に買うミニストップのソフトクリーム、コルカタのスタンドで飲む甘いチャイ、菜種油の香り、公園の中を走る自転車通勤、手書きの家計簿