2017.08.23

企業の衰退と死にポジティブな意味付けが開発される事の効用について

代表取締役社長 青木耕平
企業の衰退と死にポジティブな意味付けが開発される事の効用について

人間の人生は身も蓋もなく言えば、人生の前半に肉体的なピークを迎え、そこからは右肩下がりで衰え、最後には必ず死を迎えるというなかなかタフな宿命を抱えています。

その身も蓋もない現実は当然そのまま受け取れば恐怖や絶望を引き起こし、まだ衰えてないうちから、まだ生きているうちから、生きる力、生きることを楽しむ力を奪い、厭世的になったり自暴自棄になったりはたまた極端な短期志向に陥って享楽的な生き方をするようになったりするかもしません。

でも人間は賢いので、数千年の時間をかけて、宗教や芸術、伝統や習慣の力で人間の衰えと死にポジティブな意味づけを重ね、今ではもちろん衰えることやいずれ死ぬことは歓迎すべきことではないにせよ、例えそうであっても人として生まれたことは悪くないよね、人生を全うしたいよねとは多くの人が思えるくらいには文化が成熟をしているように思います。

なのでティーンエイジャーのころは「NO FUTUER!」「DON’T TRUST OVER 30!」なんて言って世を儚み、仮初めの青春を謳歌し、大人になったら人生終わりだ、、と思っていたような若者たちも、成熟することで意味づけ能力を獲得し、責任を負い、衰え、いずれは死ぬ人生も「まあ悪くないよね」くらいには思いながら生きれるように成長するものです。

だいぶ前置きが長くなりましたが、企業というものも一般的には人間の寿命よりはるかに短い平均寿命が宿命的に存在しており、基本生まれ、成長し、衰退し、死を迎えるものです。一部の例外はあるのかもしれませんが、確率論的に言って例外に自らがなるケースはほとんど考慮する必要がないくらい少ないはずです。

そんな状況であるにもかかわらず、企業の経営者自身も、それを取り囲む社会の目線も、企業は「ゴーイングコンサーン」であるべきという幻想の元、企業の衰退は悪夢!死は悲劇!という意味づけしかなされていないのが現状です。

これは人間の人生への目線に例えれば、体力が衰え、死を迎えるなんて悲劇的で悪夢のような人生だと評価しているのと似ています。それは前述した未成熟なティーンエイジャーの人生観のようなものであり、人々が事業や経営を見る目線がその程度に発展途上であると言えるのかもしれません。

自分の人生について「NO FUTUER!」「DON’T TRUST OVER 30!」と思っているティーンエイジャーはどういう行動に至るでしょうか?多くの場合近視眼的で自己破壊的な意思決定をしがちです。どうせ歳をとって死ぬなら、今気持ち良い、今かっこいい、今すぐ利益得られる方に流れる方を選ぼうということです。

一方で現実には多くの人は成人し、成熟する過程で、歳をとって体力が少しづつ衰えてもその代わりに獲得できるものがあることを知ったり、自分が衰えても自分が育んだものが育っていくことに喜びを見出すことを覚えたり、何らか宗教的な概念を信仰し死そのものにも意味があると理解したりすることで、自分が死んだ後のことまで視野に入れた長期的な成功を目指して意思決定することができる可能性を手に入れて行きます。

企業経営者も実際にはほとんどの会社がいずれ衰え、死を迎えるという事実を知りながら、衰えることを「悲劇」死ぬことを「悪夢」ととらえていれば、ティーンエージャー的世界観で近視眼的で自己破壊的な意思決定をせざるを得ません。また衰えることに、あるいは死ぬことにポジティブな意味が見出せないなら、それに対する恐怖や嫌悪から、長期にわたる見通しを考える気にさえならないかもしれません。先のことをリアルに考えても気分が塞ぐだけだから今のことだけ考えるか、「永遠の命!」のような会社にとっては「夢想」の世界に生きるかのどちらかになりがちです。

最近よく資本主義の行き過ぎ、企業が短期的利益のために自己破壊的で社会にも悪影響を与えるような意思決定を行いがちなことの問題点が議論されることが増えてきました。でも本当に問題なのは仕組みではなく、現実にそこにある企業の「衰退」と「死」は「悪夢」で「悲劇」だという未成熟な意味づけしか存在していないことだと思うわけです。

もし企業が「衰退」しいずれ「死」を迎えることに、ポジティブな意味づけをし、社会全体でそれを共有できれば、企業の経営者やオーナーが企業が「衰退」し「死」を迎えてなお、「悪くない人生だったよね」と思える余地を開発できたなら、多くの経営者はより長期的かつ倫理的に会社を経営するようになるだろうと思うわけです。

最近従業員の生産性を引き出す鍵は、あるいは良心的な貢献を引き出す鍵は「心理的安全性」を与えることであるということが盛んに言われるようになりました。「心理的安全性」があるからこそ、自己保身にエネルギーを割くことなく、良心に従って誠実に所属する企業へ貢献しようとする、そんな状況を目指す考え方だと思います。

一方同じ人間である企業経営者やオーナーにも「心理的安全性」が与えられたらどうなるでしょうか?怠惰になって社会全体の生産性は下がるのでしょうか?不正が増えるのでしょうか?おそらく従業員にそれが与えられた時同様、より高い生産性と倫理観が引き出されると考える方が自然なのではないかと思ったりするわけです。

そしてその経営者やオーナーの「心理的安全性」を生みだすための一丁目一番地は、いずれ必ず訪れる、企業の「衰退」と「死」を、「そうであっても悪くない」と思えるためのポジティブな意味づけを開発し共有することじゃないかと思うわけです。

それを前提として、じゃあどうやったら「衰退」の時期を幸せに過ごせるのか、綺麗に大往生するためにどんなことに気をつけられるのか、どんなことが準備できるのかみたいな「ノウハウ」が開発されていくんだと思います。

そして企業の「衰退」や「死」をポジティブに意味付けし、それが社会や関係者に破壊的な影響を及ぼすことを最小限に止める仕組みや知見を蓄積していけば、経営者やオーナーの「心理的安全性」が保たれ、ひいいてはより良心的で生産的な経営がなされるようになるのではないかと期待しています。

最近の僕の思考のテーマだったのでどこかでメモ的にまとめておきたいなと思って書いたので、問いだけで何の答えも結論もないのですが、みんなで長い時間をかけて考えていきたいなと思っています。