2017.09.20

書く場所さえあれば、きっとどこでも生きていける。ライター・編集者 一田憲子×「北欧、暮らしの道具店」代表 青木耕平×店長 佐藤友子【後編】

書き手 小野民
写真 木村文平
書く場所さえあれば、きっとどこでも生きていける。ライター・編集者 一田憲子×「北欧、暮らしの道具店」代表 青木耕平×店長 佐藤友子【後編】

一田憲子さんを迎えた鼎談、後編です。前編では、ものを書くときの「私」の出し方について、世代間のギャップや、経験を積むからこそ見えてくることについてお聞きしました。多くの人に取材をしてきた一田さんだからこそ感じ、実行に移したメディアづくりに話は展開していきました。

後編は、一田さんから主に青木への相談(取材?)タイム。一田さんから見て「しっかりビジネスしている人」である青木に、「自分のメディア」について聞きたいことがあったそうです。

 

生きるためのビジネス話を届けたい

一田
自分のメディアは、どうやって作ればいいか分からないし、立ち上げても儲かるかも分かんないし、何も前は見えない状況でした。だけど、やり方が分かるまで待ったら、いつまでもできないと思いました。

「外の音、内の香」ができて、もうちょっとで1年かな。よっぽど、青木さんに相談しに行こうとしたくらい手探りでした。

コンテンツに関していえば、「ビジネスピープルからの贈り物」というコンテンツを作りました。これは、ビジネスのことなんて全く知らない私が、ビジネスで成功している人の元にお話を聞きに行こう!という企画。

実はこれは、主婦の方にも読んでもらいたくて書いているつもりなんです。ビジネスの話だけれども、実生活の中で今までとは違うベクトルの何かに続く方向性が、あるんじゃないかと思っています。私自身も、ビジネスの話をビジネスにするために役立てるというよりは……。

佐藤
生きるために。

一田
そうそう。自分がいきいき生きたり、何かを成し遂げたり、自分の中で何かをするための、今まで聞いたことがなかった、なにかこう、旗になるみたいなコンテンツが作りたいんです。

青木
ビジネスといっても、要は取り組みだし、人生の経営に役立つはずですよね。

美しさに対する認識が変わってきたと思っていて、ここ10年、一般的にも工芸的なものが見直されてきました。長持ちするとか、サスティナブルであることが、美しさの要件の中に入ってきたんだと思うんです。ビジネスまで含めたひとつの成り立ちを整えることも、長持ちするものにすること。

きっと、「自給自足の村が美しい」みたいなことにちょっと近い感覚なんです。そして、美しいもの自体というよりは、それが作り続けられるバックボーンだったり、作る人が疲弊しない仕組みだったりを整えてやっと、「美しい」と感じられるんじゃないかと考えています。

一田
すごい納得です。バブルとは真逆ですよね。

青木
バブルだったからこそ、「美しいもの」のビジネスの持続性について、考えずにこれた時代があったのだと思います。

一田
あの頃は、消費することが大事でしたね。

青木
そうなんですよ。景気が下降してくると同時に、長持ちすることや継続性の背景が価値を持つようになってきて、「長持ち」させる手段として、ビジネス的側面に多くの人が関心を持つようになっている。

もうひとつは、なにかを作って世に出してリアクションを得るのが、この20年で飛躍的に簡単になりました。「俺、ブログやっていて読者が2000人いるんだよ」って言っても驚いたり、憧れたりすることはなくなりました。

良いコンテンツを作り、多くの人に届けれるだけでは客観的な驚きがない。でもそれが、「それで、2人雇ってなんとか利益出てるんだよね」って言ったら「すごいな」ってなります。

美しさって難しさとセットじゃないですか。難しくないと美しくない。

一田
…ということは、そのバックボーンというか仕組みというか、そこまでが評価されているんですか。

青木
そこまで含めて「合わせ技一本」みたいになっている気がします。現代においては仕組みまで含めて、美意識や表現のクリエイションの分野だと思うんですよね。

一田
ということは、裏側は隠す文化は、なくなるんでしょうか。

青木
なくなるというよりは、美しさの表現の在り方に選択肢が増えたんじゃないでしょうか。

これまでのように、突出したクリエイションで、裏側の仕組みを感じさせる必要も意義もない表現の仕方もあれば、「洋服の裏地までこだわってます」というクリエイションが生まれる裏側も、プロダクトや作品の一部として表現する方法もある。

トレーサビリティのような、一連の取り組みのどこを取っても美しいものも、求められている感じがします。「このおいしい食べ物は、どこでどんな人がどんな材料で作っているか」とか「このスニーカーはかっこいいし安いけど、どこでどんな人がどんな条件で働いて作られているのか」と気にすることが多くなった風潮にも、似てるかもしれません。

一田
なるほどね、そうですね。

 

人の気配を感じるサイトが「仲間=読者」を呼ぶ

青木
僕らの「北欧、暮らしの道具店」の運営方針でいえば、「仲間になりたいと思ってもらうこと」を全ての目標にしています。仲間になる方法のひとつとして買い物してくれること、あるいは「このサイトいいよ」って誰かに言ってくれたり。

仲間になりたい気持ちって、少なくとも「誰の仲間になるか」が明かされていないと仲間になりようがない。すごくきれいに出来たウェブマガジンがあって、コンテンツもすごくおもしろいんだけど、「誰がやっているの?」という問いに答えていないと、仲間になりたい気持ちが駆動しないんです。

たとえば、一田さんのメディアであれば、一田さんが書いていることが分かるから、気持ちの向け先が分かるんですよね。

一田
なるほど、そっか。

青木
「知っている人化する」のがとても大事だと思っているんです。知っている状態とは、「一田さん」って名前を聞いたら「あの本を書いた人だよね」とか「こんな仕事もしていたよね」とか「キャラクターとしてこういう人だよね」とか、エピソードが思い浮かぶこと。この状態を作れていれば、仲間になりたいと思えます。

佐藤
「北欧、暮らしの道具店」も一時期、個人の見え方を抑えようとした時期があるんですよ。

一田
え~っ!そんな時期があるんですか?

佐藤
多分、一田さんが見てくださるようになったのは、その変遷の後だと思うんですけど、うちはもともと始まりは、私と青木が交互に書くブログでした。それぞれのプライベートを含めて赤裸々になんでも書く個人ブログが、読み物の発端なんです。

商品は買わないけれど、ブログがおもしろいからお店を見にくる人たちを増やすことで来店者数を増やしていった初期があったんです。

5年くらいはやりましたね。スタッフが入ってくるたびに、個人のブログ立ち上げてもらって。

一田
え~!すごい!

佐藤
店長のブログ、社長のブログ、スタッフ○○のブログという感じで、みんなのブログしか更新されない時期がありました。企画ものをやるようになったのは、私が子どもを産んだ直後ですから6年ほど前からになります。

取材をしたり、商品を中心軸とした企画系の読み物をつくるようになったら、なんだか急に個人ブログに違和感を感じるようになりました。たぶん、青木が「メディア化するぞ」と言い出したのがそのくらいからだったと思います。

青木から突然、「メディア化を目指すから日記みたいな記事の割合を極力少なくしよう」と言われて。そこから1〜2年くらい、今に比べると個人の発信を控えめにした時期がありました。

そしたら読者の方から、「最近つまらなくなりました」「寂しいです」「おもしろくなくなりました」みたいな声をいただくようになりました。でも、「これは成長痛、変化の痛みだから耐えよう」って言いきかせて、意地でも企画ものしかあげなかったんです。

だけど、ある時から私自身が、「サイトに人気(ひとけ)が消えたな」と感じるようになりました。

「やっぱりもうすこし個人にフォーカスした作り方に戻してみよう」となり、再び「私」を介在させた読みものが増えたんですよ。そこから店長のコラムからちょっとずつ立ち上げたり、スタッフもグループごとにコラムを書いたりするようになったり。それが今から3年くらい前ですね。

一田
まだ3年ですか!

佐藤
そうなんです。私たちもどこまで自分というものを出してビジネスをするか、表現をするか一貫してやっているわけじゃない。すごい迷いの変遷をたどって、今のあり方に至って、それでもこれが正解かも分からないですから。

青木
個人のブログって楽屋話なんですよね。楽屋話がコンテンツの中で一番おもしろいのは昔から決まっているけど、楽屋話って常に有限なんですよ。

一番効果の高いコンテンツに集中して、個人の切り売りをすると一気に消耗して長続きしないのは自明だと思っていました。個人を消して、一時的には一本のコンテンツでなしうることが減るかもしれないけど、ある程度のコンテンツ数が作れるようになったところで、もう1回全体の割合の中で塩梅をみていけば……と。

一田
ああ、そういうことか。じゃあ私もウェブサイトを、「日々のこと」だけにしちゃダメってことなんですね。

青木
そう思いますね。

 

美しい舞台裏は見せた方がいい

一田
楽屋話といえば、青木さんが「BRAND NOTE」を立ち上げた時の記事がすごくおもしろかったですよ。ぶっちゃけで(笑)。

佐藤
いろいろと話し合ったよね。

青木
あれは、先ほど触れた「そこまで見せたほうが美しい」に通じるんだと思うんですよ。

企業って、社会の構成員として無視できないじゃないですか。企業の中の人たちは、我々と何ら価値観の変わらない良識の中でものを作っています。そして、場合によっては少量生産のものよりもよっぽど安全に配慮されていて、真摯なものづくりが行われてることが少なくないというのが、率直な印象なんですよね。

今までお付き合いしたクライアント企業の方たちも、ものすごいレベルのこだわりと苦心を重ねてものづくりされていて、良心のレベルも高いんですよ。「まあいいや」って妥協してできてないんです。だから大きな会社やその会社が作るものをもうちょっとみんな信じてあげていいんじゃない?って思うんです。

一田
なるほどね。

青木
もし自分が「北欧、暮らしの道具店」のお客さんでも、収入の95%くらいは、「北欧、暮らしの道具店」の商品を買うよりも、たぶんマス向けの商品に使ってるんです。

マス向けの商品を良いものだと思って使うと、幸せの度合いがだいぶ違うよね、と気づいたんです。広告の役割って、そういうところだよね、と。

僕らも意義があると考えて「BRAND NOTE」をやっているし、「ECサイトで広告もやる」って難しそうじゃないですか。そこをちゃんとやってみたい。収益的にも、もちろん重要な取り組みですしね。

 

マネタイズは結果。もっとも大事な動機付け

一田
私が、青木さんに質問したかったのは、「外の音、内の香」をどう運営していったらいいかなんです。自分のメディアを立ち上げてずっと続けていくには、きちんと収益をあげなければいけません。でも、どうすればいいか皆目見当もつかなくって。

青木
一田さんがやりたいことって、「儲ける」というより、「価値をお金にする」だと思うんですよね。価値が先にあって、どうお金にするか。

僕らが新規事業を立ち上げるときの話をすると、最優先するのは「現場がノってる」ってことです。言い換えれば、その仕事を楽しく意義を感じながらやれる状態を作ること。課題設定の難易度や目標が高すぎたり、意義を感じなければ、ノってやれません。だから意義が感じられて、難しすぎない目標設定になっているかは、とても大事です。

2つめに大事なのが、当たり前ですが「お客さんが喜ぶ」こと。言い換えれば、お客さんの期待値を超えること。「読んで良かった」とか、「期待していたより良かった」、「買って良かった」と思ってもらうことですね。

そして最後が、「儲かる」。「現場がノってる」と「お客さんが喜ぶ」ができていれば、お金に変えるのは難しくない。数字はついてくるはずなんです。

もしそれができないんだったら、課題設定の時点で間違えているから、1回その取り組み自体をやめたほうがいいってことになります。

一田
課題設定ってなんですか。

青木
たとえば、「自分のメディアを持つべきなんじゃないか」、「メディアをWebでやるべきなんじゃないか」、「自分一人でやるべきなのか」、「何人かでやるべきなのか」、「扱うテーマはどういうことなのか」、こういったことは課題設定ですね。

うまくいくものは、別にたいした工夫をしなくても、早く共感の輪が広がっていくんですよ。10個チャレンジして、1個あるかないかだと思いますが。

やり方が悪いから、頑張りが足りないから「うまくいかない」ことはあまりないと思っていて、「うまくいく」ものはうまくやらなくても「うまくいく」、逆に「うまくいかない」ものはどんなにうまくやっても「うまくいかない」。うまくいったから、うまくできるようになるまで続けられてる。

一田
うまくいったから、うまくできるようになるまで続けられてる、か…。

青木
僕がやっていることがあるとしたら、いろいろやって、うまくいかないことをとっとことっとこクローズさせていくことですね。

一田
へー、なるほど!

 

メディアが生き残る、第三の道

青木
もし仮にその課題設定がうまくいっていたとして、ウェブメディアをマネタイズする方法論って、大きく分けると3つしかないと思うんです。

ひとつは、広告すること。もうひとつは、直接コンテンツに対して何らかの形で対価をいただくこと。3つ目が、そのメディアが直接お金を産むわけでなく、お金を稼ぐ他者の仕組みの効果を高めることを理解してもらって、お金を稼ぐ仕組みを持っている事業者から対価を受け取る方法。

たとえば僕らは自社内でやっていますが、ウェブメディアを運営してたくさんのお客様にきていただけば、それとは直接関係ないように見えるECサイトの売り上げが上がることが分かっているので、メディア運営のコストを負うことができています。こういうことを会社をまたいでも行えると思います。

一田
なるほどー。

青木
僕はこの3つ目っていうのが、これからのメディアの生き残る道だと思います。数十年前のサントリーが、開高健みたいな作家性のある人を宣伝部に雇って『洋酒天国』という雑誌を作らせた、みたいなことですね。

一田
資生堂の『花椿』みたいなことですね。

青木
そうそう!

佐藤
一田さんはご自身で考えられていることってあるんですか?

一田
それが全然、イメージがわかなくって。Webでお金を稼ぐ方法についていろんな人にアドバイスを聞いても、どれも違うような気がする。「何かが違う」の「何か」が見つかるまでは、自分で充実させるところを着実にやっていくしかないですよね。

まるで何も産んでいないかというと、そうじゃないんです、「自分のウェブサイトを持ちました」ということで、以前より声をかけられるようになったりしているので。良かったかな。

青木
自分のマーケティングを助けるものになっているんですね。僕らのメディアの位置付けと近い気がします。

いずにせよ、一田さんみたいに「やりたいからやる」って言える「動機」こそが、世の中で一番希少なリソースだと思っていて、さっきも話した現場が「ノってる」ということが一番大事で一番難しいという話と同じかと。

一田さんはすでにその状態で、読者の方も僕ら含めて楽しみに読んでるわけで、最後の価値をお金に変えるところは実は一番イージーな課題な気がします。

 

それぞれの真実に近づく方法

佐藤
一田さんは、今後の仕事で「こうしていきたい」という希望はありますか。

一田
もし私が「おへそ」もなくなり、出版社も景気が悪くなり、すべてが下り坂になったとして、たとえばどこか田舎に引っ込むとするじゃないですか。そして日がな海でも眺め、生活費を稼ぐためにアルバイトをしている。それでも、「外の音、内の香」に自分の感じたことを書ければ、生きていける。

自分のサイトがあって、そこに書くものがあったら私は生きていけるかなと思ったんですよ。

佐藤
以前、一田さんがおっしゃったことで忘れらないのが、「自分にとって書くことは真実に近づく行為だ」という言葉です。

暮らしや仕事がどうであれ、その境遇だからこそ近づく真実が絶対ある。それを書くことによって、より自分の中に真実を見出せる、それをやり続けたいっていうことなのかな、と今のお話を聞いていて思いました。

一田
そういうことです。

佐藤
私たちも「本当に美しいってどういうことなんだろう」という真実に1ミリでも近づきたい。

定義を更新し続けたり、本当にその通りにやりきれるかを自分たちの事業の中で試して証明したりして、真実に近づきたいです。

一田
そこの姿勢がなんとなーく伝わるから、「北欧、暮らしの道具店」ってなんか違うね、と読んでいる方が思うのかもしれないですね。

佐藤
そうだとありがたいですねぇ。

一田
いまは精一杯、いちライターとして自分の持ち場でやっていきたいですね。

【前編】時代と世代で変化をとげる、「私」が見える発信のかたち ライター・編集者 一田憲子×「北欧、暮らしの道具店」代表 青木耕平×店長 佐藤友子