福祉の世界に飛び込んだビジネスマンは、当たり前を疑う シルバーウッド代表 下河原忠道さん【前編】

書き手 編集スタッフ 小野

写真 高木あつ子

福祉の世界に飛び込んだビジネスマンは、当たり前を疑う シルバーウッド代表 下河原忠道さん【前編】
「子ども」よりも断然「高齢者」が多い世の中に暮らす私たち。多くの人にとって、介護や看取り、ひいては、どんな風に高齢者とともに生きていくか?という課題がつきつけられているのではないでしょうか。

今回のインタビュアーである私、編集スタッフ小野もそんな一人。そろそろ自活が困難になってきた祖母の老いに、本人や家族がどのように向き合っていくかは大きなテーマとなってきました。

どうしても前向きな解答を見出しずらい事柄に頭を悩ませている時、高齢者住宅を運営する一人の異端児の存在を知りました。

その方が、今回お話をうかがった、シルバーウッド代表の下河原忠道さん。異業種から参入し、パワフルな立ち回りで業界の常識を覆している姿に興味を惹かれました。しっかりとビジネスマンの顔を持ちながらも、対する高齢者への眼差しはどこまでも人懐っこく、その絶妙なバランスも魅力的です。

話をうかがってみれば、いくつかの出会いをきっかけに、人が生きる上での本質的なテーマに真っ向から挑むようになっていったようです。
その道のりでの気づきや問いかけをうかがうと、正に自分が考えなくてはならない事柄の連続ではっとさせられます。

私たちは誰と、どう生きていく?考えるきっかけをたくさんもらうインタビューとなりました。

株式会社シルバーウッド代表取締役

下河原忠道

2000年に、薄板軽量形鋼造(スチールパネル工法)躯体販売事業を主とする株式会社シルバーウッドを設立。2011年、自社工法で建築したサービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」を鎌ヶ谷に立ち上げ、運営を開始。その後『銀木犀』は現在建設中のものを含めて12棟まで増え、入居者率はほぼ100%。現在は、バーチャルリアリティ事業「VR認知症プロジェクト」にも力を入れる。

好きなこと:新しい事業にチャレンジすること、美しいホテルに滞在すること、「いきなりステーキ」で500gのヒレステーキを食べること

見学のはずが、高齢者施設をめぐる冒険へ

──下河原さんは現在高齢者住宅の運営をしていらっしゃいますが、もともとは別のお仕事をされていたんですよね。まずは、どういうきっかけや道のりがあって、今に至っているのかをうかがいたいです。

下河原
父親が鉄鋼関係の仕事をしていて、その鉄をたくさん売るために、父の会社の鉄を使った建築工法を開発したんです。僕は、その構造躯体を販売するメーカーを経営をしていましたが、売るのには苦労していました。

パネルをつくって、現地でプラモデルのように組み建てる工法なので、工期が早くて安いものを求めている業界を探したときに、一番はじめにヒットしたのがコンビニエンスストアやファミリーレストランでした。

次に、日本の社会において、たくさん建てられる分野の建物ってなんだろうと探して見つけたのが、高齢者住宅です。その時に、日本中の高齢者施設を視察して回ったんですよ。すると、福祉の世界のパステルカラーに愕然としてしまったんです。

_mg_1008

──あぁ、病院っぽい感じのインテリアですよね。

下河原
そうです。ビニール素材も多くて、「管理」ということが伝わってくる設えに、建築やインテリアが好きな僕は目がいって、ダサい、ひどいと思ってしまって。「こんなところ住みたくない」っていう気持ちが出てきました。

僕が視察したところが悪かったのかもしれないけれど、ある療養病床での高齢者への扱いにも、憤りを感じました。

従来の高齢者施設って延命することを前提としている文化なんですよね。当時の僕は何の知識もなく行ったから、驚いちゃって。

施設で出会ったおばあちゃんの近くにいたら、か細くてプルプル震える手で僕の腕をガシッと掴んで、「助けて」って言うんです。涙が出ちゃって、これはおかしいと思いました。それで、答えを求めてバックパックを背負って、海外の高齢者施設をあちこち見にいくことにしたんです。

──日本で見て回ったところは、どこも同じような印象を受けたんですか。

下河原
そうですね。高級老人ホームも見に行きましたよ。でも、花は造花できれいなままで、できそこないのホテルみたいな感じがしちゃった。住宅の良さって、花を活けて、枯れていくのを見られるところじゃないですか。クロスもピッカピカで、床は大理石では、「暮らし」って感じはしませんよね。

2005年くらいから何年間かかけて、フランス、イギリス、アメリカ、ハワイ、韓国……いろいろ行きましたね。で、一番ヒットしたのは北欧とハワイでした。

──北欧は福祉の制度が充実しているイメージがあるから納得です。ハワイは、ちょっと意外な感じもします。

下河原
ハワイの高齢者住宅はね、確かにお金もそれなりにかかるんだけど、入居者たちが選択する自由が当たり前にあるんです。

自分自身で生活をクリエイティブに楽しむスタイルが、アメリカ人らしいですよね。病気にならないために、体を動かすし、いつまでも趣味を失わないように、いろんなアクティビティが用意されているんです。

アクティビティは、入居者さんたちが誘い合ってスタート、みたいな感じですよ。そのアクティビティのメニューが豊富なんです。

北欧には「プライエボーリ」という高齢者住宅があって、多くの入居者さんが入居して1年、ないし2年以内にお亡くなりになるんです。

──北欧の高齢者施設が、長期間入居する場所ではなく、最後の時を迎える場所のようになっているのは、きっとそこに至るまでの支えが、しっかりしているからなんでしょうね。

下河原
はい。消費税が25%にもなる国では、福祉に関わるインフラがしっかりしています。あくまでも自宅で生活し続けて、いよいよどうしようもないときに、高齢者住宅に入る考え方なんですね。それが理想だと思うんです。

_mg_0979

僕は、日本の介護の仕組み自体がおかしいと思っているんですが、要介護状態になればなるほど、介護報酬が上がるんです。だから事業者としても、自立支援の方向に進まない。

その仕組み自体がナンセンスなんです。もちろん、国民皆保険とか、誰でもフリーアクセスできる良さは、日本が世界に誇るシステムだとは思いますが……

──海外の優良な施設を見て、「自分が日本でつくってみせるぜ!」みたいな想いを持つようになったんですか。

下河原
いいえ、その時は全然なかったです。世界中でトレンドとなっている高齢者施設は日本にも遅かれ早かれ入ってくるじゃないですか。なので、建築を売り込むにしても、少し先を見ておきたかったんです。

売り言葉に買い言葉。思わず出た「自分がやる」

──高齢者施設の施工をするだけでなくて、自分たちが運営することになったのはなぜですか。

下河原
高齢者住宅の営業をしているなかで、地主さんと運営業者さんのそりが合わなくて、仕事が頓挫しそうになったことがあったんです。そのとき地主である社会福祉法人側の人が、僕に向かって「ひとつくらい自分で運営してみたら」、と。仕事欲しさに「分かりました」ってその場で言っちゃって(笑)。

_mg_0986

──わぁ、それはなかなか無鉄砲です(笑)。だけどその頃には、いろいろな現場を見て、高齢者施設のイメージの蓄積もあったのでしょうか。

下河原
いやいや、病気のことも詳しくないし、認知症のことも全然知らなかった。「賃貸住宅の高齢者版だろ?」くらいの軽い気持ちでね。「一儲けしてやろう」くらいのやましい気持ちでスタートしたのは認めます。

──なるほど。でも、その気持ちだけでは、高齢者住宅を何カ所も運営するまでにはならないだろうから、気持ちの変化を知りたいですね。

下河原
まず、1棟目をつくるにあたって「建築だけは、どこにも負けないぞ」と、建築屋の端くれとして思いました。

──プライドがあったんですね。

下河原
そうなんです。「どこよりも気持ちのいい建物をつくるぞ」と宣言して、「全館ヒノキの無垢のフローリングだ」と。全『銀木犀』がそうなんですよ。

──すごく居心地がいいです。気持ちがいい。

_mg_1022

下河原
でしょう。これも専門家に「滑る」とか言われちゃうんですけどね。

まぁとにかく、建築にはとことんこだわって、2011年に鎌ヶ谷に一棟目の『銀木犀』が完成しました。できあがりが、全然他と違うわけです。だから、入居者を募集したら半年で満室になりました。

──求めている人がたくさんいたわけですね。パステルカラーの施設じゃない住処を。

下河原
そう、求めてたんですよね。だから1度『銀木犀』を見に来たら、すぐに「ここに決めます!」と言う人もいましたね。

人は素直だし、建築が大事なんだと思いました。ただ、そのときはまだ何棟もつくる発想はなかったですよ。ただ、そこである高齢者との出会いがあったんです。

死に様を見せてくれた人、生き様を見せてくれた人

下河原
高齢者住宅については全くの素人でしたが、高齢者住宅をつくるなら、「人が安心して死んでいける場所にしたい」ということは自分の中で決めていました。

賃貸住宅で「看取り」までやる発想については、「素人が何を考えているんだ」って思われたかもしれない。でも、人の死に向き合うのに、素人も専門も関係ないはず。もちろん、医療的な処置については専門家に助けてもらえればいいし、覚悟があれば絶対できるという根拠のない自信がありました。

そして、最初期の入居者さんが僕の運命を決定付けたんです。

その人は76歳で入居してきたんだけど、末期の乳がんで、余命3か月の状況でした。僕が彼女に会ったときに、本人が「私はここで死にます」って言ったんです。「『ここで死にます』って言われても困ります」って言ったのを覚えています。だけど「私が死に方を教える」って言うわけですよ。

彼女は余命宣告通りに、3か月間でお亡くなりになったんですが、彼女は看護師だったんです。「人が死ぬ場所は病院じゃない」っていつも言っていました。「病院は人が元気になる場所なのよ」って。

口数は少ない人だったけど、僕にそれだけは伝えてくれて、「頑張りなさい。こういう場所が必要なのよ」と僕に伝えてくれました。

_mg_1076入居者のポストは、作家の手づくりですてきな佇まい

──すごくたくさんの高齢者施設がある中で、下河原さんの最初の一歩に彼女が立ち会ったことに、たしかに運命を感じてしまいますね。

下河原
本当ですよね。あの人の教育がなければ今の自分はいないです。

でも、いろんな批判も受けました。「賃貸住宅で、安心して死ねる場所なんて縁起が悪い」とか、「リスクは取れるのか」とか。こうなったら、専門知識をつけなくちゃいけないと、勉強し始めました。そこで1冊の本に出会ったんです。

村上智彦さんという、財政破綻した夕張市の病院に乗り込んだ人です。『村上スキーム』という本がものすごく分かりやすくて、立ち読みで半分くらい読んじゃって(笑)。

それ以外の医学書は難しいことばかりで、「リスク排除」ってことばかり繰り返される。それに引きかえ、村上先生は「高齢者は死ぬんです」って書いてますからね。単純明快。その本を読み終わってすぐに電話して「会いたい」と伝えたら、「すぐ来い」って言ってくれて、夕張にすぐに会いに行きました。

2時間くらいぶっ通しで話をしてくださって、最後に僕に質問しました。「君は何がしたいんだ?」って。僕は「人が安心して死ねる場所をつくりたいんだ」って言ったら「そっか」って。僕たちもう仲間だね、という雰囲気で言ってくれて、お付きあいが始まりました。そのあたりから『銀木犀』の方向性は定まっていきました。

村上先生はいつも「医療や介護と全く違う業界から来た人間が、この業界の変なところをきちんと見定められる。あなたみたいなよそ者ばか者がいいんですよ」と励ましてくれましたね。

それから2棟、3棟と増えて、現在建設中のものを含めたら12棟目まできました。どこの『銀木犀』も、3年連続で入居率は全国でナンバーワンです。ずっとほぼ100%なんですよ。

それが、僕のビジネスでの成功の証だと思います。そしてその理由は、建築っていう武器もあるし、飯もうまいし、なによりも高齢者にも「過度な医療は施さず、自然な最期を迎えたい」というニーズがあったんだと思います。

80歳、90歳と歳をとったら、食べたり飲んだりできるぶんだけして、老衰で亡くなるのが僕はベストだと思っているんです。

3、4棟目の『銀木犀』ができた頃には、看取り率は76%に達していました。多くの高齢者住宅が20〜30%なことを考えるとすごく高い数字です。

もちろん数字を争うわけじゃないけれど、最期、老衰で亡くなっていくときって感動的な光景なんですよ。孫が周りでスマホでゲームやっていたり、家族は想い想いに佇んで静かに見送っている。あの光景が僕はすごく好きです。

_mg_1038

後編では、暮らす人にも働く人にも、ひいては周りの家族や社会にもフィットするであろう、『銀木犀』のあり方についてお聞きしていきます。

【後編】高齢者住宅から、誰もが暮らしやすい家を考える シルバーウッド代表 下河原忠道さん

Recommend

Related