こんにちは、編集担当に仲間入りした小野民です。

書き手 小野民
写真 土屋誠
こんにちは、編集担当に仲間入りした小野民です。

はじめまして。新しく企画や編集の担当になりました小野民(おのたみ)と申します。クラシコムが運営する「北欧、暮らしの道具店」でライターとしてお仕事をさせていただいた縁で、このたびクラシコムジャーナルの編集者として仲間入りすることになりました。

来週から担当記事をアップしていく前に、今日は少しばかり自己紹介をさせてください。

「クラシコムジャーナル」はどんな働き方を目指す?

クラシコムジャーナルがスタートしてまだ4ヶ月ほど。初代編集担当馬居さんの「はじめまして」の記事が、まだ記憶に新しい方もいらっしゃるかもしれません。ぜひ、こちらも読んでいただきたいのですが、私は馬居さんの自己紹介に、うんうん頷いて共感していた1人。そしてクラシコムジャーナルの読者になり、更新される記事を楽しみにしていました。

「クラシコムジャーナルの仕事をやってみませんか?」という、私への嬉しいお声がけの理由は、馬居さんの産休です。馬居さんがしばし仕事を離れる間の留守番という大事な役目でした。

ここは、「フィットする働き方」「フィットするビジネス」を探求するクラシコムジャーナル。馬居さんが安心して一休みできること、戻ってきたいタイミングや仕事量を調節しながらカムバックできること、そんなことも編集部内で模索しながら、メディアを運営できたらすてきです。

この文章を書くために、改めて考えてみました。たとえば、育児と仕事が並行する働き手にとっての、フィットする働き方やビジネス。それは、単にタスクが少なければいいんじゃない。「自分が操縦席にいて、自分で運転できている感覚」が大事そうな気がしているのです。

編集担当者たちの「ちょうどいい」もきちんと考えながらやっていきたい。それが私の目標であり、この仕事を引き受ける役目だと思っています。

私がクラシコムジャーナルの仕事に使命感を持って取り組めるのは、自分自身がフィットする働き方を模索しているからでもあります。社会人になって10年、ちょうどいいの難しさにいつも直面しながら、なんとか歩みを進めてきました。といっても、逃げるが恥だが役に立つ精神がよくも悪くも染みついている私…。逃げた先に辿り着いているのが、今の場所なのかもしれません。

流浪の民からニッチな領域の編集者へ

私の新卒での仕事は、出版社の営業から始まりました。新入職員は必ずバイクにまたがり、全国の農村を回って本の営業をするのです。この頃のことはネタの宝庫。2年半の営業時代に北海道から鹿児島まで津々浦々に泊り歩く日々は、とても刺激的でした。

もう一度やれといわれても無理ですが、当時は若かった。毎日接する農家に元気をもらいながら、1年目は表彰されるほどの営業成績を達成することができました。しかしそれから、営業成績は下降線をたどるばかり。気力と体力が目減りしていくことに恐怖を感じたことを覚えています。

その後異動になり、雑誌の編集を2年半ほど経験。「食べること」に真正面から向き合う本に関わり、編集やライティングというキャリアは、よちよち歩きながらここからスタートしました。やりがいのある仕事でしたが、東日本大震災での実家の被災や結婚という自分の人生にとってのターニングポイントが重なると、会社を辞める理由を何十個も思いつく自分に気づいてしまいました。

そうなるとどうしても仕事に身が入らない。これでは会社にも迷惑がかかるし、手に職があるじゃないかと半ば勘違いして、無謀にもフリーランスでやっていこうと退職したのでした。

「フリーランスの編集者です」と、恐々と名乗るようになって、もうすぐ5年が経とうとしています。修行もそこそこに会社を飛び出した私ですから、もちろん順風満帆というわけにはいきませんでした。それでも人のつながりに助けられながら、農業、地方、食といった分野を中心に仕事をしてきました。

そして現在は、山梨県に夫と2歳になる娘と三人暮らし。子どもが生まれるタイミングに合わせ、東京都内から友人知人の多い山梨へ引越してから2年が経とうとしています。

山梨在住、週一東京、月一で地方出張へ行く働き方

私の引っ越しの目的は、仕事と育児の両立のため。それまで保育園激選区といわれる地域に住んでいたので、フリーランス夫婦の保育園探しの壮絶さを噂に聞くにつけ気が重くなり、全力で逃走先を探しました。

幸い、あたりをつけていた場所のいい物件をインターネットで発見できたからいいものの、私の人生はいつも行き当たりばったり。臨月のお腹で床のない古民家に引越してくる無謀さで、「あなたの生き方は全然参考にならない」とよく言われます。

今は、平日は子どもを保育園に預け、しばしば都内にいる義父母や地方にいる私の母の手も借り、ファミリーサポートセンターにもお世話になり…とさまざまな人にお世話にながら、書いたり、編集したりという仕事をしています。

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普段は自宅で仕事をし、週1ペースで上京して打ち合わせや取材、月に1度くらい日本のどこかへ1泊2日の出張、というのが私のだいたいのスケジュール。方向性としては間違っていない気がしていますが、どうしても後回しになっていく家事や、自己主張をするようなった子供を見ると、めまぐるしい日々に落ち込むこともしょっちゅうです。

子どもが生まれてからしばらくは、「子どもがいたって、それを言い訳にはしない」と強がっていましたが、子供が育つにつれ、言い訳はだめだけれど共有はしたほうがいいな、と心境は変化してきました。この状況を上手に受け入れて、折り合いをつけながら働く道はきっとあるはず。正解がないのは分かっているけれど、諦めたくありません。

東京から山梨に引越してみて、個人個人はもちろん、地域によっても働き方や暮らし方の悩みはそれぞれだと気付きました。だけど、自分の仕事に限らず、パートナーの仕事、世の中をかたちづくるさまざまな仕事について、ちょうどよさをみんなが求めていることは確かなはず。

それぞれの「フィットする働き方」、「フィットするビジネス」を探す旅に読者のみなさんと出かけられたら嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。